オテロ_(ロッシーニ)
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あらすじ
第1幕

トルコとの戦いに勝利したオテロがヴェネツィアに凱旋して人々に賞賛される。ドージェはオテロにヴェネツィアの市民権を与える。ロドリーゴはデズデーモナをめぐってオテロの恋敵であり、彼女の父であるエルミーロが欲に目がくらんで娘をオテロに与えるのではないかと恐れていた。それに対してイアーゴは自分に陰謀があることをあかし、盗んだ手紙をロドリーゴに見せる。

デズデーモナは父がムーア人のオテロを嫌っていることを悲しむ。また自分がオテロに書いた恋文が父に取りあげられたため、それをロドリーゴあてのものだと思ってオテロが自分の貞節を疑うことを恐れる。

エルミーロは娘をロドリーゴと結婚させようとするが、デズデーモナは結婚相手がロドリーゴと知って苦しむ(三重唱)。そこへ怒ったオテロが登場して自分とデズデーモナが結婚を誓っていることをあかし、デズデーモナもそれを認める。ロドリーゴはオテロに決闘を申しこむ。
第2幕

デズデーモナに拒絶されたロドリーゴは苦しい胸中を告白する(Ah! come mai non senti)。デズデーモナはエミーリアに事情を打ちあけ、ロドリーゴがオテロを殺すことを恐れて彼のもとへ向かう。

愛する者の不実を恐れるオテロのもとにイアーゴが登場し、デズデーモナがロドリーゴを愛している証拠として手紙をオテロに見せる。オテロは手紙を読み、怒りに燃えて復讐しようとする(二重唱「Non m'inganno; al mio rivale」)。

ロドリーゴがオテロのもとに現れて決闘をはじめる(二重唱「Ah vieni, nel tuo sangue le offese」)。デズデーモナが止めにはいるが(三重唱「Che fiero punto e questo!」)、オテロにひどい扱いをされ、決闘を止めることもできずに気絶する。

エミーリアに介抱されてデズデーモナは息をふきかえし(Che smania. Oime! che affanno!)、オテロの無事を聞いて安心するが、そこへ父のエルミーロが登場。デズデーモナは許しを求めるが(L'error d'un'infelice)、エルミーロは許さない。
第3幕

寝室で絶望におちいっているデズデーモナをエミーリアは慰めようとするが、彼女の悲しみは晴れない。外から聞こえて来るゴンドラ乗りの歌(Nessun maggior dolore)を耳にしてデズデーモナは自分の境遇に引きくらべ、今はなき友人のイザウラのことを思いだして竪琴を伴奏に柳の歌(Assisa a' pie d'un salice)を歌うが、涙で途中で止めてしまう。エミーリアが去った後、デズデーモナはひとり祈り(Deh calma, o Ciel, nel sonno)、眠りにつく。

オテロはひそかにデズデーモナの寝室にしのび込み、彼女を殺そうとするがためらう。デズデーモナは目をさまして潔白を主張するが、嵐の中オテロはデズデーモナを殺す(二重唱「Non arrestare il colpo」)。

ルーチョがやってきて、イアーゴの陰謀が明らかになったことを告げる。ドージェやエルミーロもやってきて、オテロとデズデーモナの結婚を認める。ロドリーゴも改心してデズデーモナをオテロに譲る。人々が祝う中でオテロはひとり苦しんで自殺する。
脚注
注釈^ 歌詞はダンテ神曲』地獄篇第5曲121-123行の引用
^ デズデーモナが柳の歌を歌うシーンはシェイクスピアの『オセロー』にも登場するが、出てくる場所はやや異なる
^ ヤーゴ、イヤーゴとも
^ シェイクスピアの原作のブラバンショーに相当
^ シェイクスピアの原作ではイアーゴの妻

出典^ a b c d 水谷彰良『ロッシーニ《オテッロ、またはヴェネツィアのムーア人》』2014年。https://www.akira-rossiniana.org/%E3%83%AD%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%83%8B%E3%81%AE%E3%82%AA%E3%83%9A%E3%83%A9/。 
^ Alberto Pironti (1964), “Barbaia, Domenico”, Dizionario Biografico degli Italiani, 6, https://www.treccani.it/enciclopedia/domenico-barbaia_(Dizionario-Biografico) 
^ a b c d Richard Osborne (1998). “Otello (i)”. In Stanley Sadie. The New Grove Dictionary of Opera. 3. Macmillan. pp. 789-790 
^ a b “Otello”. The New Kobbe's Opera Book (11th ed.). London: Ebury Press. (1997). pp. 669-670. .mw-parser-output cite.citation{font-style:inherit;word-wrap:break-word}.mw-parser-output .citation q{quotes:"\"""\"""'""'"}.mw-parser-output .citation.cs-ja1 q,.mw-parser-output .citation.cs-ja2 q{quotes:"「""」""『""』"}.mw-parser-output .citation:target{background-color:rgba(0,127,255,0.133)}.mw-parser-output .id-lock-free a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-free a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/65/Lock-green.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-limited a,.mw-parser-output .id-lock-registration a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-limited a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-registration a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d6/Lock-gray-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-subscription a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-subscription a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/aa/Lock-red-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-ws-icon a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/4c/Wikisource-logo.svg")right 0.1em center/12px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-code{color:inherit;background:inherit;border:none;padding:inherit}.mw-parser-output .cs1-hidden-error{display:none;color:#d33}.mw-parser-output .cs1-visible-error{color:#d33}.mw-parser-output .cs1-maint{display:none;color:#3a3;margin-left:0.3em}.mw-parser-output .cs1-format{font-size:95%}.mw-parser-output .cs1-kern-left{padding-left:0.2em}.mw-parser-output .cs1-kern-right{padding-right:0.2em}.mw-parser-output .citation .mw-selflink{font-weight:inherit}ISBN 0091814103 
^ Pompeo Giannantonio (1967), “Berio, Francesco Maria”, Dizionario Biografico degli Italiani, 9, https://www.treccani.it/enciclopedia/francesco-maria-berio_(Dizionario-Biografico)/ 
^ a b c 市川裕見子「オセロウは唄う―スタンダールとロッシーニ『オテロ』をめぐって(下)」『宇都宮大学国際学部研究論集』第15号、2003年、141-146頁。 
^ 市川裕見子「オセロウは唄う―スタンダールとロッシーニ『オテロ』をめぐって(上)」『宇都宮大学国際学部研究論集』第14号、2002年、79-85頁。 

関連項目

猫の二重唱

外部リンク

『ロッシーニ 《オテロ》
』オペラ対訳プロジェクト。https://w.atwiki.jp/oper/pages/2169.html。 (リブレットの対訳)

『オテッロ』昭和音楽大学オペラ研究所 オペラ情報センター。https://opera.tosei-showa-music.ac.jp/search/Record/WORK-00771。 (日本での公演情報)










ジョアキーノ・ロッシーニのオペラ

デメトリオとポリービオ(イタリア語版) (1806) - 結婚手形(イタリア語版) (1810) - ひどい誤解(イタリア語版) (1811) - 幸せな間違い(イタリア語版) (1812) - バビロニアのチーロ (1812) - 絹のはしご (1812) - 試金石 (1812) - 成り行き泥棒(イタリア語版) (1812) - ブルスキーノ氏 (1813) - タンクレーディ (1813) - アルジェのイタリア女 (1813) - パルミラのアウレリアーノ (1813) - イタリアのトルコ人 (1814) - シジスモンド(イタリア語版) (1814) - イングランドの女王エリザベッタ (1815) - トルヴァルドとドルリスカ(イタリア語版) (1815) - セビリアの理髪師 (1816) - 新聞(イタリア語版) (1816) - オテロ (1816) - チェネレントラ (1817) - 泥棒かささぎ (1817) - アルミーダ (1817) - ブルゴーニュのアデライーデ(イタリア語版) (1817) - エジプトのモーゼ(イタリア語版) (1818) - アディーナ(イタリア語版) (1818) - リッチャルドとゾライーデ(イタリア語版) (1818) - エルミオーネ (1819) - エドゥアルドとクリスティーナ(イタリア語版) (1819) - 湖上の美人 (1819) - ビアンカとファッリエーロ(イタリア語版) (1819) - マオメット2世 (1820) - マティルデ・ディ・シャブラン (1821) - ゼルミーラ (1822) - セミラーミデ (1823) - ランスへの旅、または黄金の百合咲く宿 (1825) - コリントの包囲 (1826) - モイーズとファラオン (1827) - オリー伯爵 (1828) - ギヨーム・テル (1829)


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