オセロ_(ボードゲーム)
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長谷川は、1973年にツクダからオセロを発売した当初、リバーシの影響下にあること自体は認めたうえで、改良による独自性をアピールし、新ゲームとしてこれを宣伝した[19][20][21][67]。長谷川は1973年の雑誌記事でオセロ開発の経緯について以下のように記し、源平碁(リバーシ)を土台にゲームを改良したと明言している。何か原型になるものはないか? そのとき私は、兄が30年以上も前の小学生時代に源平碁をやっていたことを思い出した。〔中略〕現在は滅びてしまったが、これを土台に改良すればいけると直感した。 ? 長谷川五郎(1973年)、[19]

1981年の著書『オセロの打ち方』でも、長谷川はリバーシがオセロの原型であると認めたうえで、ゲームの面白さは、ルールが3分の1、名称・用具・環境など'の要素が3分の2を占めることを指摘し、後者が不十分であったリバーシは子供の玩具以外の何物でもなかったが、オセロはすべてを整備して大人でも遊べるゲームとして完成させたものであるとアピールしている[22]水戸で開催されたオセロ・イベントの様子

発売当初はリバーシの影響下にあることを公言していた長谷川だが、次第にそれを伏せるようになった[66]。そして、2000年頃、長谷川はリバーシとは無関係に1945年に水戸で自身が独立にゲームを考案したとする新たな見解を示した。当時、日本オセロ連盟のウェブサイトには「オセロの起源はリバーシ」と明記されていたが、連盟会長の長谷川が執筆した「戦後、水戸、碁石」という新しい文章に差し替えられた[68][69]。長谷川は、この文章の中で以下のように主張した。オセロの原形は、1945年9月に茨城県水戸市で生まれました。〔中略〕囲碁(相手の石を囲んだら取る)を良く知らない中1の生徒達のガヤガヤワイワイの中から、相手の石を挟んだら取るというルールが私の発案で生まれました。 ? 長谷川五郎(2000年)、[70]

これ以降、オセロはリバーシとは独立に水戸で考案されたとする情報が広く拡散した[注釈 20]
オセロ関係者の見解

2000年頃、長谷川の新たな主張が日本オセロ連盟のウェブサイトに出現した件について、連盟HP委員として差し替え作業を担当したhaseraは2018年に次のように語っている。オセロが水戸発祥って2000年くらいに突然五郎さんが言い出して僕なんかは困惑した話なんですよ。それまでは1960年代にゲーム研究して1973年までに完成・発売したという話を信じてたのに、急に戦後の水戸発祥ってことになった。 ? hasera、[24]

オセロ販売元のメガハウスは、2020年現在、オセロは長谷川が水戸で独立に考案したとする説をウェブサイトに掲載している[58]。水戸市は、同説に基づき、「オセロ発祥の地」を自称し、オセロにまつわる様々なイベントを開催している[72][73]。なお、1974年の長谷川の著書[10]には「オセロ発祥の地は中外製薬(長谷川が勤務していた東京の製薬会社)」と記載されている。

一方、世界オセロ連盟は、2020年現在、オセロの歴史に関する項を空欄にしている[74]。長谷川が死去した2016年には、当時の世界オセロ連盟会長だったトール・ビルゲル・スコーゲンが、長谷川はリバーシに基づいてオセロを開発したとする見解を示しつつ長谷川に哀悼の意を示す声明を発表した[19][75]
第三者の見解

オセロにはリバーシとは別のゲームと言いうるほどの独自性はなく、リバーシの商品名のひとつにすぎないとの指摘が、発売当初から複数の専門家によって示されている。

小説家の都筑道夫は、オセロ発売直後に疑問を抱いて独自の調査を行い、娯楽研究家である矢野目源一の著書『娯楽大百科』[76]の記述などに基づいて、オセロはリバーシとそのまま同一のゲームであるといち早く指摘した[77][21]。都筑は、ツクダが海外輸出を目指していることに触れ、以下のようにオセロを批判している。碁将棋をしのぐ日本の新しいゲーム、なぞとむこうへ持っていったら、なんだ、珍しくもない、リヴァースィじゃないか、といわれるだけだろう。 ? 都筑道夫、[78]

小説家でパズル・ゲーム研究家の田中潤司は、都筑に対して、リバーシは昔から日本でも源平碁として親しまれており、1968年(オセロ発売の5年前)のハナヤマの商品カタログにも掲載されているという事実を紹介した[78]。田中は、以下のように述べ、発売元のツクダが長谷川にロイヤルティーを支払ったことについて疑問を呈している。あれは源平碁ですよ。〔中略〕だいたい、昔からあるものを、発売元が知らないのが、おかしいんですよ。 ? 田中潤司、[78]

ゲーム研究家の草場純は、『世界遊戯法大全』(1907年)に記載されているリバーシのルールや、戦前に日本で販売されていた源平碁のルールが(初期配置の規定も含めて)すでにオセロと同一であったことを紹介し、次のように評している。[46]オセロは長谷川五郎氏が石を黒白にして命名したもので、名称や色の違いはゲームとしては本質的でないので、せいぜい言っても再発見とするべきだろう。


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