モデルはメキシコ人俳優エミリオ・フェルナンデスというのが定説である。メキシコ革命後に不法に米国に渡った移民だという[5]。 像はシカゴ所在のR・S・オーエン社が主宰者から受託を受けて生産している。像は台座を含め全高34.3cm、重さ3.86kg。92.5%の錫と7.5%の銅の合金で出来ており、上から24金メッキが施されている。第二次世界大戦中は石膏で塑像されていた[4]。そのため、大変壊れやすく、第17回で助演男優賞を受賞したバリー・フィツジェラルドは自宅でゴルフクラブを振って練習をしていたところ、誤って近くにあったオスカーに命中し割ってしまったというエピソードが残っている。 「オスカー」という名称が登場する最も古い記録は、1934年に開催された第6回授賞式の報道である[1]。呼称の由来については諸説あるが、どれも明確な根拠がなく現在もはっきりとしていない。映画芸術科学アカデミーが公式に使い始めたのは1939年だという[5][1]。 由来については下記の3つが最も有力とされる。
製作
由来
オスカーおじさん説
アカデミー賞事務局のマーガレット・ヘリック局員が事務局に届いた像を見て、『自分のおじさんのオスカーにそっくりだ』と言ったことが広まったという説[1][3]。ただし記録が残っているわけではない。オスカーという呼称は下記のスコルスキー説より以前からあったという説も根強く、その代表的なエピソードとされる。
スコルスキー説
第6回授賞式でオスカーの名を初めて文字に残したジャーナリストのシドニー・スコルスキー自身が考えたという説。彼が書いた「オスカー君はヘプバーン(キャサリン・ヘプバーン)へ」と書いた記事が最古とされる[1]。このオスカーの語源について、スコルスキーは、自身が大好きだったとある大衆舞台劇で、キャストが劇中、舞台下でバンドを指揮して劇の音楽を生演奏している指揮者オスカーに向かって「おい、ところで葉巻でもやるか?オスカー」と突然話しかけ曲を脱線させて笑いをとるネタから名前を取ったという。なぜオスカーなのかという理由についてスコルスキーは、「かねてアカデミー賞のお高くとまった印象を快く思っていなかったので、せめて人間らしい印象で扱ってやろうと思った」と述懐。
ベティ・デイヴィス説
女優のベティ・デイヴィスが1936年に、『青春の抗議』で初の主演女優賞(第8回)を受賞した際、客席にいた夫(当時)のハモン・オスカー・ネルソンに向かって、「オスカー、やったわよ!」と叫んだことから広まったという説。あるいはトロフィーの後ろ姿が、夫のハモン・オスカー・ネルソンの後ろ姿にそっくりなことについて仲間内と談笑したことに端を発し、やがて業界の隠語として広まったものが一般化したという説。1934年の新聞などに既にオスカーの名称が登場していることから、現在では最も信憑性は薄いとされる。
エピソード
第1回(1927年/1928年)に主演男優賞を受賞したドイツ人のエミール・ヤニングスは、帰国後はその栄誉からヒトラーに気に入られたが、終戦後戦犯として米軍に捕らわれそうになり、米兵に賞楯を見せ親近感を得て難を逃れた。
第10回(1937年)の授賞式で、仕事で式典を欠席していた助演女優賞受賞者のアリス・ブラディの代理人を名乗る男が壇上で像を受け取った。しかし、この男はブラディとは無関係で、そのまま像は持ち去られてしまったという。
第10回、『我は海の子』で主演男優賞を受賞したスペンサー・トレイシーが受賞した像は、「ディック・トレイシー」と名前が間違って彫られていた。ディック・トレイシーとは、当時の人気コミックの刑事の名前。
第17回(1944年)に助演男優賞を受賞したバリー・フィッツジェラルドは、自宅でゴルフの練習中に誤って像を打ってしまい破損してしまった(当時は戦時中で石膏製だった)。