オクラホマ州
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オクラホマの奴隷制度は1866年になって廃止された[21]

1866年から1899年[15]、テキサス州の牛牧場経営者が東部の都市での食糧需要に応ずるために、カンザス州の鉄道まで約束した配達期限に牛を届けられるよう牛を追わせたカウボーイが牛を北に追い、あるいはインディアン準州の中に違法に入植することで牛追い道と牛牧場が発展した[15]。1881年、主要な牛追い道5本(Goodnight?Loving Trail、Potter-Bacon trail、ウェスタン・トレイル(英語版)、チザム・トレイル(英語版)、Shawnee Trail)のうち4本がインディアン準州内を抜けていた[22]

インディアン準州内に白人開拓者が増えたことで、アメリカ合衆国政府は1887年にドーズ法を制定し、部族の土地を個々の家族単位に割り当て、農業と土地の私有を奨励したが、連邦政府の土地も確保した。この過程で、鉄道会社が準州内のインディアンが所有していた土地の半分近くを取り上げ、外部から来る開拓者が購入できるように確保した[23]。通常、土地は最初にその土地に来た開拓者に開放された。ランドラッシュと呼ばれる、決められた時刻に特定の土地が開拓者に開放され、待ちかねた開拓者が一斉に駆け出すような仕組みが1889年のものを含め何度か行われた。公式の解放時刻以前に境界を越えるという規則破りは「抜け駆け」(sooner)で境界を越えたと言われるようになり、このsooner(早い者勝ち)という言葉がオクラホマ州の公式ニックネーム(Sooner State)にもなった[24]。準州を州に昇格させる動きは19世紀末近くに始まった。このころ、カーティス法(英語版)でインディアン部族に対する土地の割り当てを続けていた。オクラホマと名付ける全てインディアンの州を創設する試みや、セコイアと名付けるやはり全てインディアンの州を創設する試みが次々と失敗したが、1905年のセコイア州憲法制定会議がその2年後のオクラホマ州憲法制定会議の基になった[25]。1907年11月16日、オクラホマはアメリカ合衆国46番目の州に昇格した。

この新州で石油が発見されて折からの石油ブームの焦点となり、町は急速に人口を増やして富を掴んだ。タルサ市は20世紀の大半の期間「世界の石油首都」と呼ばれており、油田の探査で州の初期経済を潤わせた[26]。1927年、「国道66号線の父」とも呼ばれたオクラホマの事業家サイラス・アベリー(英語版)が、アメリカ国道66号線の建設に関わる運動を始めた。アベリーは、テキサス州アマリロからタルサ市に伸びていた道路を用いて66号線を建設するために、本拠地のタルサ市で66号線協会を結成し、その計画を監督した[27]

オクラホマはアフリカ系アメリカ人の歴史も豊富である。20世紀初期には近隣の特にカンザス州などから黒人開拓者が移住してきたために、多くの黒人町が繁栄した。政治家のエドワード・P・マッケイブが当時のインディアン準州に黒人開拓者が来ることを奨励した。マッケイブはセオドア・ルーズベルト大統領と、オクラホマを黒人多数の州にする可能性を検討した。20世紀初期までに、タルサ市のグリーンウッド地区は、アメリカ合衆国の中でも最も繁栄するアフリカ系アメリカ人社会の1つになった[28]。20世紀への変わり目以後、ジム・クロウ法によって人種差別が激しくなったが、黒人は繁栄する地域を作り上げた。1915年以降のクー・クラックス・クランの復活によって社会の緊張が高まった。1921年には白人が黒人を攻撃する事件があり、タルサ人種虐殺と呼ばれた。この事件では、16時間におよぶ暴動で市街地35ブロックが破壊され、被害総額は180万ドル、死者は300人とされる、アメリカ史の中でも最大級の人種間暴力事件となった[29]。1920年代後半までに州内ではクー・クラックス・クランの勢いが衰え、無視できる状態になった[30]1930年代に起こったダストボウル、多くの農家を貧窮に追いやった

1930年代は、オクラホマ州の一部はお粗末な耕作法、うち続く干ばつと強風のために苦難の時となった。カンザス州、テキサス州、ニューメキシコ州およびオクラホマ州北西部におきたダストボウルは、長い期間の小雨と異常な高温の産物であり、数多い農家が貧窮の底に沈み、アメリカ合衆国西部の肥沃な土地への再移住を強いられることになった[31]。1950年までの20年間は、オクラホマ州人口が6.9%減少し、人口が減った唯一の期間となった。

土壌と水の保全計画によって州内の農耕法が著しく変化し、大規模な洪水制御系とダムが建設された。多くの貯水池と人工湖が造られ家庭用と農業用の水が供給された。1960年代までに、200以上の湖が建造され、国内でも最大数となった[32][33]オクラホマシティの爆破されたアルフレッド・P・ムラー連邦ビル

1995年、アメリカ史の中でも最悪のテロ事件の舞台となった。1995年4月19日にオクラホマシティのアルフレッド・P・マラー連邦ビル前で爆発が起こり、19人の子供を含む168人が殺された。爆破犯人はティモシー・マクベイとテリー・ニコルズとされ、マクベイは死刑を宣告され2001年6月11日に、連邦政府によって処刑された。相棒のニコルズは釈放の可能性の無い終身刑とされ、現在も服役中である[34]。詳細は「オクラホマシティ連邦政府ビル爆破事件」を参照
地理「オクラホマ州の郡一覧、en:Geography of Oklahoma、en:list of Oklahoma townships、en:lakes in Oklahoma」を参照オクラホマ・パンハンドルの歓迎看板背後に広がるハイプレーンズ(英語版)

オクラホマ州の総面積は69,898平方マイル (181,035 km2) であり、合衆国50州の中で第20位である。陸地は68,667 平方マイル (177,847 km2)、水域は1,281 平方マイル (3,188 km2) である[35]。オクラホマ州はロッキー山脈の東手前にあるフロンティア・ストリップに位置する6つの州の1つであり、大陸48州の地理的重心に近い。

オクラホマ州は東部でアーカンソー州及びミズーリ州に、北部(北緯37度)でカンザス州及びコロラド州に、西端(西経103度)でニューメキシコ州に、南部でテキサス州に接している。北西部の細長い土地(オクラホマ・パンハンドル)の南部境界は北緯36度30分にあり、西経100度に達したところで州境は南を向く。その後州境はレッド川までまっすぐ伸びて、アーカンソー州に至るまでレッド川がテキサス州との境をなす。

オクラホマシティは州都であり最大都市である。
地形

オクラホマ州はグレートプレーンズと、メキシコ湾に至る河川流域のオザーク高原との間にある[36]。西側州境のハイプレーンズ(英語版)から南東側州境の低湿地までなだらかな斜面になっている[37][38]。標高が最も高い地点から最も低い地点もこの並びに沿っている。最高地点は標高 4,973 フィート (1,516 m) のブラックメサであり、オクラホマ・パンハンドルの最北西隅に近く位置している。最低地点は最南東部イダベルの町に近いリトル川沿いであり、標高は 289 フィート (88 m) である[39]ウィチタ山地の峡谷を流れる川

オクラホマ州は地理的に多様な州の中でも、10以上の生態域を含む4州の1つである。州境には11の生態域があり、面積平方マイル当たりの数では50州の中で最大である[32]。しかしその西半分と東半分では地理的様相がはっきり異なっている。東部は8つの生態域があり、西部は3つしかない[32]州南東部の大半にあるウォシト山地

州内には4つの山地がある。すなわちウォシト山地、アーバックル山地、ウィチタ山地、およびオザーク山地である[37]。それらは内陸高原の中に含まれ、オザーク山地とウォシト山地は、ロッキー山脈とアパラチア山脈の間にある唯一の主要山岳地である。


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