ソルボンヌ大学、パリ政治学院、欧州大学院大学(ベルギー、ブルッヘ)で教鞭を執った[3][17]。スラヴ研究所(フランス語版)運営委員会の委員でもあり[17]、1984年から1987年にかけてパリ大学の公開講座用のラジオ・ソルボンヌ=ラジオ・フランスの会長を務めた[17]。
1987年6月22日にジャック・シラク首相(当時)が、フランス国籍法典改正のための有識者委員会を設置した際には、委員として参加。これは、カレール=ダンコース、エマニュエル・ル・ロワ・ラデュリを含む法学、政治学、歴史学、社会学の大学教員9人、医師2人、官僚3人、弁護士1人、映画監督1人(アンリ・ヴェルヌイユ)によって構成され、移民問題との関連で特にフランスが採用している国籍の出生地主義の是非について審議することを目的とした委員会であり[18][19][20]、法学者のジャン=ドニ・ブルダン(フランス語版)と哲学者のアラン・フィンケルクロートは参加を拒否した[19]。カレール=ダンコースとウラジーミル・プーチン大統領(2000年)
1990年12月13日にアカデミー・フランセーズ会員(第14座席、ジャン・ミストレル(フランス語版)の後任)に選出され、1991年11月28日に就任。1999年10月21日から終身事務局長を務めている[3]。
1992年、欧州中央銀行の顧問として旧共産主義国家の民主化のための支援政策の策定に参加[3]。
1994年にジャック・シラクが党首を務める共和国連合から欧州議会議員に選出され(任期:1994年7月19日 - 1999年7月19日)[21]、外交・治安・防衛政策委員会の副委員長を務めるほか、ロシア外交代表団や欧州連合・ロシア協力欧州議会委員会代表団の一員としてロシアとの協力関係の強化に尽力した[21]。
2023年8月5日、パリにて死去。没年94歳[22]。 ベルギー王立アカデミー
栄誉
アカデミー会員、名誉会員、名誉博士
ラヴァル大学(カナダ、ケベック州)[24]
モントリオール大学(カナダ、ケベック州)[24]
ルーヴァン・カトリック大学(ベルギー)[24]
ブカレスト大学(ルーマニア)[3]
ソフィア聖クリメント・オフリドスキ大学(ブルガリア)[25]
受賞
今日賞(1978年)- 『崩壊した帝国』[26]
ロモノーソフ金メダル(2008年)[27]
アストゥリアス皇太子賞社会科学部門(2023年)
受章
レジオンドヌール勲章グランクロワ(2012年)[3][28]
国家功労勲章オフィシエ[3]
教育功労章コマンドゥール[3]
芸術文化勲章コマンドゥール[3]
レオポルド勲章(フランス語版)コマンドゥール(ベルギー)[3]
文化功労勲章(フランス語版)(モナコ、1999年)[29]
名誉勲章(ロシア語版)(ロシア、2009年)[30]
ポーランド共和国功労勲章(ポーランド語版)(2011年)[31]
著書
Reforme et revolution chez les musulmans de l’Empire russe (ロシア帝国のイスラム教徒にとっての改革と革命), Armand Colin, 1963