エレン・デジェネレス
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1997年2月、『オプラ・ウィンフリー・ショー』でカミングアウトしたことをきっかけに『Ellen 』の人気は高まった。4月、『Ellen 』でオプラ・ウィンフリー扮するセラピストにより、役であるEllen Morganがレズビアンであることをカミングアウトすることとなった。『The Puppy Episode 』を副題とするこの回は『Ellen 』の中でも高視聴率のエピソードの1つである。その後、人気にそぐわず視聴率は下降して『Ellen 』は打ち切りとなり、スタンダップ・コメディ界に戻り、のちにトーク番組のホストとして成功する。
『The Ellen Show 』

2001年、CBSで『The Ellen Show 』が始まったが、視聴率が低く1シーズンで終了。
『エレンの部屋』詳細は「エレンの部屋」を参照

2003年9月からは昼のトーク番組『エレンの部屋』(The Ellen DeGeneres Show)のホストを務めている。当初シャロン・オズボーンやリタ・ラドナーなどセレブリティがホストのトークショーがいくつかあったが、ニールセン社の視聴率調査では常に上位にあり、批評家からの評判も良かった。第一シーズンでデイタイム・エミー賞11部門にノミネートされ、最優秀トーク・ショー賞を含む4部門で受賞した。最初の3シーズンのうちに25のエミー賞を受賞。この番組の冒頭やCMの間に観客とダンスをしたり歌ったりする。番組協賛により観客にプレゼントや無料旅行などが与えられたりする。

2006年2月、早期に大学を去った彼女と30年ぶりの同級会が番組内で行われた。彼女は発光ダイオードを使用した看板をアトランタ高等学校に寄付した。

2006年5月、ニューオーリンズのテューレーン大学の卒業式にサプライズで登場。ジョージ・H・W・ブッシュビル・クリントンに続き、バスローブと毛で覆われたスリッパで登壇し「みんなローブを着てくると聞かされたから」と言った。2009年にも同大学の卒業式でスピーチをした。

2007年3月、ユニバーサル・オーランド・リゾートで1週間中継された。ハルク・ローラー・コースターとジョーズ・ボートに乗ってのコントもあった。

2007年5月、背中の靭帯損傷のため療養となったが、看護士が付き添いながら病院のベッドから番組を続け「番組を続けろと言われた」と説明。ゲストも病院のベッドに座った。

2009年5月1日、放送1,000回を祝い、オプラ・ウィンフリー、ジャスティン・ティンバーレイクパリス・ヒルトンなどのゲストが登場した。
人種差別疑惑

2020年2月、YouTubeの公式チャンネルに「エレンがポン・ジュノにヌード写真を送ったが、彼から返事はなかった(Ellen Texted Bong Joon Ho a Nude Photo, and He Hasn’t Responded)」という題名の動画を上げた。ポンは英語が苦手であり、その事をからかった動画である。これを見た視聴者からは、デジェネレスの行動は人種差別であるとの指摘が上がっている[2]

しかしそのポン・ジュノも上記の疑惑のほぼ同時期にあたる同年2月20日に行われた文在寅韓国大統領主催昼食会の場で彼の発言が、「日本人観客を揶揄しているのではないか」と日本メディアで報じられた。すでに日本でも有名だった彼による日本人観客をからかうかのような発言は日本国内で話題となった[3][4]。詳細はパラサイトの項
番組プロデューサーによるパワーハラスメント疑惑

2020年夏頃に複数の現場スタッフが番組開始当初から複数の番組プロデューサー等からパワーハラスメント等を受けていた事を告発。その後、番組プロデューサー3人が処分を受け、エレン自身も直接謝罪した。しかし、エレン自身は直接これらの行為を行っていなかったとは言え、それを知りながら見て無ぬ振りをしていた事に変わりはなく、更に同年12月にエレン自身がCOVID-19に感染していた事を公表した際のコメントが問題視された事もあり、当番組の視聴率が急落[1]。その結果、ゲスト出演を拒否するセレブリティも相次いだ。

この影響で2021年5月11日、2022年のシーズン19で番組が終了することが発表され[2]、同年5月26日に終了した。
『アメリカン・アイドル』

2009年9月9日、『アメリカン・アイドルシーズン9ポーラ・アブドゥルに代わり審査員となり、オーディションの後のハリウッド・ウィークから出演することが発表された[5][6]。少なくとも5シーズン分契約したと見込まれていた。2010年2月9日、『アメリカン・アイドル』初登場。

2010年7月29日、彼女とフォックス放送から1シーズンのみで辞めることが発表された。「あまり自分に合っていなかった」とのこと。
授賞式等

1996年1997年グラミー賞で司会を務めた経験もある。
エミー賞

2001年11月4日、エミー賞授賞式の司会をしたことで知名度が高まった。9月11日のアメリカ同時多発テロ事件の直後に開催される予定だったが2回延期され、テロ後のアメリカの雰囲気を明るくするような、エレンのユーモアに富んだ司会が高く評価され、彼女のパフォーマンスや「ユダヤ人に囲まれたスーツ姿のレズビアンの女性に会うことほどタリバンが驚くことはない」などのジョークは賞賛された。

2003年には他のコメディアンと共同司会。

2005年8月、2005年9月18日のプライムタイム・エミー賞授賞式の司会をすることが発表された。この授賞式はハリケーン・カトリーナの3週間後で、彼女にとってアメリカの危機直後の司会は2回めとなった。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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