水力式や蒸気機関式は、冬季に水が凍結すると運行に支障が出た。1882年、最初の電動式エレベーターがニューイングランドの綿工場に設置されると[5]、その後1889年ごろより高速運転可能な装置が考案され、電気の供給安定とともにエレベーターの動力源として電動式が主流となった。
電動式エレベーターは制御機構の高度化と建物内の高速な垂直方向の流通アクセス性の向上により、超高層建築物の建設に追い風をもたらした。
1880年代以降はアメリカ合衆国のシカゴとニューヨークで高層ビルの建築競争が始まる。特に1920年代にはニューヨーク市マンハッタン地区ではクライスラー・ビルディングが高層ビルとして初めてエッフェル塔の高さを上回るほどとなり、世界一のビルの高さを競う新築超高層ビルの建設ラッシュが起き、この動きはのちに世界的に広がった。
1857年3月23日、オーチスの旅客用エレベータがニューヨークの488 ブロードウェイに初めて採用される。これが世界初の実用エレベーターを設置した事例となる。
1859年、ニューヨークのブロードウェイに建てられたホテルに、オーチスのエレベーターが採用される。それまでホテルの上方階は、荷物の上げ下ろしが大変なので、不人気で料金も安かった。しかし実用的なエレベーターの登場以降、環境のよい上方階は宿泊客の人気を呼ぶようになった。
1861年、オーチスは蒸気エレベーターの特許を取り、オーチス・エレベータ・カンパニー (Otis Elevator Company) を設立。
1870年、ニューヨークのエクイタブル生命ビルが旅客用エレベータを設置した世界初のオフィスビルとして建設される[7]。
1875年、日本における最初のエレベーターとされる水圧式の荷物用エレベーターが王子製紙十条工場に設置された。
1880年、ドイツ国(ドイツ帝国)のヴェルナー・フォン・ジーメンスが世界初の電動式エレベータを開発[8]。
1887年、アメリカのアレクサンダー・マイルスが自動ドアの付いたエレベータの特許を取得。
1889年、パリのエッフェル塔に水圧式エレベーターが設置される。
1889年、オーチス・エレベータ社が電動式エレベーターを開発。ニューヨークのビルに世界で初めて採用される。以降、ニューヨークの摩天楼化に拍車がかかっていく。
1890年11月10日、東京浅草の凌雲閣に、藤岡市助と三宅順祐が設計した日本初の乗用エレベーターが設置された。エレベーターは地階に据え付けた7.5馬力の直流電動機1基に対し、M字状にロープで連結したかご2機を同時に運転し(交走式)、1階か8階だけに止まる独自の構造をしていた。速度は15 m/min程度の一段速度制御であった。2機のエレベーターは3畳敷の大きさで、かご内には布団を敷いた腰掛けが設置されていた。減速装置は平歯車を何段か組み合わせた歯車減速機で、ベルトが何本か見えることから運転方向の切換えは正逆1組のベルトをベルトシッパーで切換える方式であったと考えられる。なおロープは麻ロープが使われていた。構造が不完全で故障が多く、警視庁から派遣された技術者に「危険なり」との理由で運転停止を言い渡されて、のちに撤去された。また、当時は「エレベートル」と表記されていた。
1896年、オーチス・エレベータ社のエレベータが日本銀行に取付けられた。速度が30 m/minの貨幣運搬用水圧式荷物用エレベーターで、米貿の日本国への輸入1号機となった。
1901年、大阪府東区の日本生命保険本店にオーチス・エレベータ社のロープコントロール式の24 m/minのエレベーターが設置された。このエレベーターは1961年まで稼働していたが、法令上の理由で撤去され、その時の機器一式が1966年に国立科学博物館に寄贈された。国立博物館では一時館内で公開展示をしていたが、その後展示品は解体され2006年時点では部品状態で国立科学博物館に保管中である。部品の保管状態は良好で、稼働可能な状態で現存する国内最古のエレベーター機器と考えられる。
1915年、日本初の製作が国産化された乗用エレベーターとなった東松式エレベーターと呼ばれる、押しボタン式全自動エレベーターが大阪府本町の伊藤丸紅呉服店に設置された。製作は機械技術の東松孝時が経営する東松工作所(後の旧日本エレベーター製造)によるものだった。
1919年、東松孝時は日本最初のエレベーター製作の法人組織日本エレベーター製造を設立した。(後述)
1927年、東洋オーチス・エレベータ社(現:日本オーチス・エレベータ)が本格的に開業。