「君は我々を死刑執行人に引き渡す事が出来る。だが3カ月もすれば怒り苦しめられた民衆が君にツケを払わせ、君は生きたまま路上を引きずり回される事になるだろう」
ヴィッツレーベンら政治犯が処刑された、ベルリン・プレッツェンゼー拘置所の一室。部屋の奥にある梁に吊るされ処刑された。
8月8日の夕刻、ベルリンのプレッツェンゼー刑務所の処刑場。レールのような鉄の梁に肉を吊るす鉤とピアノ線のようなワイヤーロープが垂れ下がる。7月20日事件に関し、人民裁判所で死刑判決を受けた被告人のうち、ヴィッツレーベンは最初に絞首刑にされた。ヒトラーはあらかじめ「陰謀者たちの死の苦しみをできるだけ長くせよ。連中にはいかなる慰めを与えてはならない。連中を家畜の生肉の様に吊るせ。」と命令し、神父・牧師など宗教関係者の立会いを禁じた。目撃者の証言によると、部屋の隅のテーブルにはブランデーの瓶とコップが置いてある。さらに映像撮影用カメラと強烈なライトが用意されていた。執行は上半身裸にし、ピアノ線の輪に首を通し時間をかけて首を絞め、さらに執行人たちは苦しみもがく被処刑者のズボンを脱がすなど、徹底して人間としての尊厳を傷付ける、非常に残忍な方法で処刑したという。そのような残忍な方法で処刑されたにもかかわらず、ヴィッツレーベンは取り乱す事無く、ドイツ帝国軍人として、最高位の元帥として終始威厳を保ったという。続いてヘプナーら7人も順番に一人ずつ同様な方法で処刑された。
処刑の模様はヒトラーに見せるため撮影された。また見せしめのため陸軍士官学校で上映されたが、それは激しい反発を巻き起こした。処刑の映像を見てヒトラーは楽しんだという説と、嫌がったという説の両方がある。いずれにせよ、ドイツの敗戦間近にヒトラーはフィルムの廃棄を厳命し、戦後連合軍関係者が捜索したが、今日に至るまで発見されていない。
戦後のドイツではヴィッツレーベンは反ナチの闘士として顕彰されており、その名を冠した通りや学校が数多く存在する。ベルリン・プレッツェンゼーの処刑場跡は現在、反ナチ抵抗運動記念館となり、鉄の梁と鉤が保存されている。
参考文献
Arnim Ramm, Kritische Analyse der Kaltenbrunner-Berichte uber die Attentater vom 20. Juli 1944. Ein Beitrag zur Geschichte des militarischen Widerstands. Tectum, Marburg 2003; ISBN 3-8288-8575-6.
Klaus-Jurgen Muller, Witzleben - Stulpnagel - Speidel - Offiziere im Widerstand, Beitrage zum Widerstand, Berlin 1988, Heft 7.
Arnim Ramm, Der 20. Juli vor dem Volksgerichtshof, Wissenschaftlicher Verlag Berlin, Berlin 2007, ISBN 978-3-86573-264-4
Hans-Joachim Ramm, ?...stets einem Hoheren verantwortlich“. Christliche Grunduberzeugungen im innermilitarischen Widerstand gegen Hitler, Stuttgart 1996, ISBN 3-7751-2635-X
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