エルヴィス・プレスリー
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既にこの公演のライヴアルバムが発売されていたにもかかわらず、この放送を視聴した世帯数は、人類初の月面着陸の映像を視聴した世帯数より多かった[34]

「プレスリーの離婚の財産分与の資金捻出のため」という名目でパーカー大佐はプレスリーの楽曲の権利をRCAへ売却した。これは長期的に巨額の損失を生んだが、パーカー大佐自身がギャンブルで大損を出していたため、早急に大金を得るために独断で行ったものだった。プリシラとの離婚に必要な資金は175万ドルであり、プレスリーの印税で難なく稼ぎ出せる金額だった。後年のプレスリーがやや困窮した理由は、楽曲の権利による印税が支払われなくなったためである。プレスリーの関係者は、この事件を「悪名高き1973年の取引」と呼んでいる。

この様な理由以外にも、プレスリーはパーカー大佐に対する不満を関係者に多く漏らしていた。しかし、プレスリーは生涯パーカー大佐を解雇にすることはなかった。ネルソン・ジョージは、「マネージャーのトム・パーカー大佐がプレスリーをどんどん安物のクズにおとしめていった」と評している[35]
死と埋葬プレスリーの墓

1977年8月16日、テネシー州メンフィスの自宅グレイスランドで、交際相手のジンジャー・アルデンによって寝室のトイレの床に倒れているプレスリーが発見された。プレスリーはバプテスト記念病院へ搬送されたが、医師により、午後3時30分に死亡が確認された。42歳没。検視後、死因は処方薬の極端な誤用による不整脈と公式に発表された[注釈 2]

晩年、プレスリーはストレスからくる過食症に陥ったことが原因で体重が激増したことに加え、1975年頃からは主治医だったジョージ・ニコポウラスから処方された睡眠薬などを誤用していた。「処方ドラッグをやっていた」とグレン・D・ハーディンなどのメンバー、さらにデル・ソニー・ウェストなどのメンフィス・マフィアのメンバーたちも語っている。

ハーディンは詳しいことは死ぬまで語るつもりはないと述べているが、ソニー・ウェストは暴露本を書いて中傷したとされた。このことについてウェストは「まだ存命中だったエルヴィスを救うためだった」と述べた。違法薬物は一切使用していないが、この処方薬の影響で癇癪持ちになり、体調も維持できなくなってしまった。イギリスのテレビ局、チャンネル4はプレスリーのDNAに、肥満や心臓疾患を引き起こす要因が発見されたと報道した[36]

当初プレスリーはメンフィスのフォレスト・ヒル墓地で母親の隣に埋葬されたが、遺体の盗掘未遂事件が起きたため、母親と共にグレイスランドに再埋葬された。グレイスランドには、プレスリーの様々な遺品やピンクや緑に塗られた車(キャデラック)、自家用機(コンベア880 / リサ・マリー号)などが展示されており、現在も世界中からファンや観光客が訪れている。スコティ・ムーアは「エルヴィスの葬儀は見世物ショーになるだろう」と感じ、式に出席しなかった。
死後

プレスリーの急死後、その肖像権は非常に危うい位置にあった。杜撰に管理されていた彼の権利は濫用され、プレスリーの印象を損なう商品が続出した。

生前のプレスリーは名義貸しのつもりで数々の契約書に署名していたが、関係者によって莫大な予算が請求されることがあった(ソニー・ウェストが暴露したテープに電話の内容が記録されている)。

死去後まもなくして遺族らが膨大なプレスリーの物的財産を管理する組織を結成、肖像権も管理すべく訴訟を起こした(当時、故人の肖像権は帰属等が不明であった)。勝訴した遺族により、以後プレスリーの権利は厳密に管理されている。

未発表映像も発掘され、1968年のTVスペシャルや1973年のアロハ・フロム・ハワイのアウトテイクを収録した完全版が発表され好評となった。その他、側近や友人、家族らが語るプレスリーの人物像に焦点をあてたものや、プレスリーのゴスペルに対する思いを映像化したものもある。エルヴィスの物まねタレント

それ以外にもプレスリーを題材にした映画が製作されたり、プレスリーの曲が数多くの映画の挿入歌として使用される事も多い。プレスリーの記録である最多ヒット曲数18曲は、2019年にマライア・キャリーの19曲によって更新された。

死後、ロニー・マクドウェルは「キング・イズ・ゴーン」を発表した。マクドヴェルのようにプレスリーの物まね、または成りきる(演じる)事を生業とする人々が世界に存在し、その数は8万5000人と言われている[34]

更に1997年には新たなる試みとして、プレスリーの公演の映像を使用し、それにあわせて当時のバンド・メンバーが演奏するエルヴィス・ザ・コンサート(現:エルヴィス・プレスリー・イン・コンサート)がメンフィスで行われ、以後国内外で開催されている。娘のリサ・マリー・プレスリーはマイケル・ジャクソンと結婚したが、後に離婚している。
フォロワーグレイスランド(Graceland)

プレスリーは多くの国の若者にロックンロールという新しい音楽への強い関心を与えた存在だった。ジョン・レノンボブ・ディランポール・マッカートニーボブ・シーガーフレディ・マーキュリールー・リード[37]ロバート・プラントブルース・スプリングスティーン、テリー・スタッフォード、クリフ・リチャードらをはじめとする多くのアーティストが大きな影響を受けた。

ジョン・レノンとエリック・カルメンは、ボーカル・スタイルにおいても影響を受けている。ジョン・シュナイダー、ZZトップ、チープ・トリックらはプレスリーの曲をカバーした。ロバート・ゴードン、タフ・ダーツ、ストレイ・キャッツ、ブラスターズらもその影響を受けていた。
バンド・メンバー

スコティ・ムーア ? リードギター、リズムギター、バックボーカル(1954?59、1960?69、2016年に死亡)

ビル・ブラック ? コントラバス、ベースギター、バックボーカル(1954?58; 1965年に死亡)

DJフォンタナ ? ドラム、バックボーカル(1955?59、1960?69、2018年に死亡)

ゴードン・ストーカー ? バックボーカル、ピアノ、オルガン、アコーディオン、パーカッション(1956?59、1960?68、1969?71、2013年に死亡)

ニール・マシューズ、Jr. ?バックボーカル、ギター、ベースギター、コントラバス(1956?59、1960?68、1969?71; 2000年に死亡)

ホイト・ホーキンス ?バックボーカル、ピアノ、オルガン、パーカッション(1956?59、1960?68、1969?71、1980年に死亡)

ヒュー・ジャレット ? バックボーカル(1956?58; 2008年に死亡)

レイ・ウォーカー ? バックボーカル(1958?59、1960?68、1969?71)

ボブ・ムーア?コントラバス、ベースギター(1958?59、1960?68; 2021年に死亡)

ダドリー・ブルックス ? ピアノ、チェレスタ(1957?59、1960?63; 1989年に死亡)

タイニー・ティンブレル ? リズムとリードギター、マンドリン(1958?59、1963?68; 1992年に死亡)

ジョーダネアーズ - 男性コーラス・グループ

スウィート・インスピレーションズ - 女性・ソウル・コーラス・グループ(ツアーなどで共演)

家族

父:ヴァーノン・エルヴィス・プレスリー/Vernon Elvis Presley(1916年4月19日 - 1979年6月26日)

母:グラディス・ラヴ・プレスリー/Gladys Love Smith Presley
(1912年4月25日 - 1958年8月14日)

兄:ジェシー・ギャロン・プレスリー/Jesse Garon Presley(エルヴィスの双子の兄に当たり30分早く生まれたが、生後まもなく死去。グレイスランドの瞑想の庭に記念碑がある)

前妻:プリシラ・プレスリー/Priscilla Beaulieu Presley(1945年5月24日 - )
回想録の訳書に、『私のエルヴィス』(小沢瑞穂訳、新潮文庫、1987年)

娘:リサ・マリー・プレスリー/Lisa Marie Presley(1968年2月1日 - 2023年1月12日)

孫娘:ライリー・キーオ/Riley Keough(1989年5月29日 - )リサ・マリーの娘で女優

孫:ベンジャミン・キーオ、2020年7月12日、銃身自殺により死去[38]



衣装と食生活

1970年代の公演で主に着用された、金やダイヤモンド、ルビーなどを施したジャンプスーツの重量は25kg以上にもなっていた。これは敬愛していたゲイのピアニストであるリベラーチェの影響を受けたものだった。ただし、プレスリーは宝石類にあまり関心を持たず、舞台上で華やかに見えるものなら擬似品でも構わないと考えていた。

プレスリーはたばこを嫌っていた。たまに葉巻を吸う程度である。「オン・ステージ」で観客から渡された酒も口を付けるだけで殆ど飲んでいない。公演中に飲んでいたのは主にゲータレードである。

プレスリーはコーヒー炭酸飲料、「ピーナッツバターバナナベーコンサンドイッチ」を毎日のように食べていた。このサンドイッチは「エルヴィスサンド」と呼ばれている。ただし、このサンドイッチは多量のバターを溶かしたフライパンで揚げ焼きにした高カロリーなものであるため、プレスリーが1970年代以降体調を崩し、肥満化していった一因になったという指摘もある。
影響

日本では湯川れい子小林克也平尾昌晃山下敬二郎ミッキー・カーチス本郷直樹尾藤イサオささきいさお、鹿内孝、藤木孝、西郷輝彦坂本九西田敏行大瀧詠一小泉純一郎等がプレスリー・ファンとして知られている。


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