グレイスランドの前の通りはエルヴィス・プレスリー・ブールバード(大通り)という。世界中のプレスリーのファン、ファンクラブからの募金のみで運営しているセイント・パウロ・エルヴィス・プレスリー記念病院がある。 プレスリーの記録には限りがないが、代表的なものや、興味深いものを挙げる。
主な使用楽器
マーティンD-18
デビューから徴兵までコンサートで使い続けていたギター。RCAファースト・アルバムのジャケット写真(1955年フロリダ公演)など弦が切れた状態で演奏されていた。また、カントリー・ミュージシャンが使っていた革のギター・カバーを被せて使用した。ブリッジ・ピンを何度も紛失している。1969年のステージ復帰後、長らくギブソン製を使っていたが、1977年のツアーで新品のD-18で演奏している。あまり弾きやすいギターではなかったようで、側近のレッド・ウェストとの電話で「新しいマーティンのギターが弾きにくい」と愚痴をこぼしている。
マーティン D-28
主にテレビ・ショウで使用された。ドーシー・ショウやミルトン・バール・ショウで使用。
ギブソン・J-200
映画「さまよう青春」、「闇に響く声」などで使用された。ボディが大容量なため、大音量が出せる。1968年のTV番組「エルヴィス」ではシット・ダウン・ショウで使用。
ギブソン・J-200(特注品)
1960年にプレスリーが特注で作ったギターで、プレスリーがデザインした人工衛星が描かれたピックガードを装着していた。また、指板にはELVIS PRESLEYとインレイが施されている。1969年の公演再開から1971年までステージで使い続けた。「エルビス・オン・ステージ」でも確認できる。ストロークが激しいため、ギター上部(ピックガードの反対側)はピックで塗装面がかなり削れてしまっている。
ギブソン・ダヴ(特注品)
1971年からJ-200に代わって使用したギター。J-200と違い、スクエア・ショルダーとなっていて、角ばったデザインが特徴。DOVEという名称の由来のピックガードの鳩のプリントは無い、オール・ブラックのモデル。ピックガードは白とのプライ加工されており、縁取りが見えるようになっている。また、指板には筆記体でElvis Presleyとインレイが施されている。さらにアメリカ・ケンポー・カラテ協会のステッカーを貼っていた。
ギブソン・ハミングバード
75年から76年にかけて使用していたギター。ピックガードにハチドリのプリントが施されている。ダヴと同じくスクエア・ショルダー・タイプ。
ギブソン・EBS-1250
6弦ベースと6弦ギターのダブルネックのモデル。通常のEBS-1250はドットインレイだが本モデルはレスポールやSGのような台形のインレイを採用した。アコギの様にヘッドにストラップを付けて映画「カリフォルニア万才」で使用。
ハグストロム・ヴァイキングII
テレビ・ショウの「エルヴィス」で使用したギターでワイン・レッドのモデル。スウェーデン製。非常に硬質で特徴的な音色。オープニング、スタンド・アップ・ショウなどで使用されたが、プレスリーの所有物ではなく、テレビ出演に当たって借り受けたもの。
グレッチ 6122 カントリー・ジェントルマン
69年から70年まで公演で使用したギター。チェット・アトキンスのシグネイチャー・モデルである。ホロウボディだがFホールはペイント。ドキュメンタリー映画「エルビス・オン・ステージ」のMGMリハーサル撮影の合い間にも使用している。同映画に収録されたインターナショナル・ホテルでの公演でも使用。公演ではイスに座り、このギターを弾きながら歌った。
フェンダー・プレシジョンベース(オリジナル・プレシジョン・ベース)
1957年5月3日、映画「監獄ロック」の劇中曲「ベイビー・アイ・ドント・ケア」を収録中に使用。ベーシストのビル・ブラックはウッドベース奏者であり、与えられたエレクトリック・ベースを上手く扱うことができず、怒ってスタジオを出て行ってしまった。そこでプレスリーが投げ出されたこのプレシジョン・ベースを弾いた。1957年にリニューアルされる前の仕様。
記録
ギネス・ワールド・レコーズ編
世界で最も成功したソロ・アーティスト
全米No.1シングル18曲(歴代3位)/全英18曲(歴代1位)
最多ゴールド、プラチナ、マルチ・プラチナレコード獲得数:140タイトル
全米No.1アルバム9作/全英6作
全米チャート入りレコード149作/全英98作
シングル発売133枚
最も長期に渡ってNo.1アルバムをチャートに送り込んだアーティスト(1956?2002年)初のNo.1アルバム「エルヴィス・プレスリー登場!(1956)」から「ELVIS(2002年)」まで。
最多ヒットシングル記録(151曲)ビルボードtop100へのエントリー回数151回は最多。
1日で最もレコードを売ったアーティスト(エルヴィス・プレスリー/死の翌日、1977年8月17日) 2,000万枚以上の売り上げ。プレスリーの死の衝撃が物語れる。
世界に最もファンクラブが多いアーティスト(エルヴィス・プレスリー)世界で(死後にもかかわらず)625のファンクラブが現在活動中である。
世界で最も訪問される墓(グレイスランド) エルヴィスの墓であるグレイスランドは、年間約70万人が訪れる墓。死後18年にあたる1995年には、歴代最多の753,965人が訪れた。アメリカの国定史跡。
統計、評論家などによる投票
ロックの殿堂(エルヴィス・プレスリー/米1986年)
1986年、アメリカで始まったロックの殿堂は、ロック史上優れたアーティストやプロデューサーを登録している。プレスリーは第1回目で選ばれた。
UKミュージック・ホール・オブ・フェイム
2004年、イギリスで始まった、UKミュージック・ホール・オブ・フェイム(音楽の殿堂)は、音楽史上優れたアーティストやプロデューサーを登録している。プレスリーは第1回目で選ばれた。2007年、この殿堂は資金不足のため、廃止された。
カントリーの殿堂(エルヴィス・プレスリー/米1998年)
1998年、カントリー・ミュージック協会により、カントリーの殿堂入りを果たした。伝統的な同教会が認めたことは、プレスリーの音楽の真価を証明するものだった。9月23日、テネシー州、ナッシュビルのグランド・オール・オープリー・ハウスで授賞式が行なわれた。
ゴスペルの殿堂(エルヴィス・プレスリー/米2001年)
2001年、ゴスペル・ミュージック協会