エルヴィス・プレスリー
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ジョン・レノンボブ・ディランポール・マッカートニーボブ・シーガーフレディ・マーキュリールー・リード[37]ロバート・プラントブルース・スプリングスティーン、テリー・スタッフォード、クリフ・リチャードらをはじめとする多くのアーティストが大きな影響を受けた。

ジョン・レノンとエリック・カルメンは、ボーカル・スタイルにおいても影響を受けている。ジョン・シュナイダー、ZZトップ、チープ・トリックらはプレスリーの曲をカバーした。ロバート・ゴードン、タフ・ダーツ、ストレイ・キャッツ、ブラスターズらもその影響を受けていた。
バンド・メンバー

スコティ・ムーア ? リードギター、リズムギター、バックボーカル(1954?59、1960?69、2016年に死亡)

ビル・ブラック ? コントラバス、ベースギター、バックボーカル(1954?58; 1965年に死亡)

DJフォンタナ ? ドラム、バックボーカル(1955?59、1960?69、2018年に死亡)

ゴードン・ストーカー ? バックボーカル、ピアノ、オルガン、アコーディオン、パーカッション(1956?59、1960?68、1969?71、2013年に死亡)

ニール・マシューズ、Jr. ?バックボーカル、ギター、ベースギター、コントラバス(1956?59、1960?68、1969?71; 2000年に死亡)

ホイト・ホーキンス ?バックボーカル、ピアノ、オルガン、パーカッション(1956?59、1960?68、1969?71、1980年に死亡)

ヒュー・ジャレット ? バックボーカル(1956?58; 2008年に死亡)

レイ・ウォーカー ? バックボーカル(1958?59、1960?68、1969?71)

ボブ・ムーア?コントラバス、ベースギター(1958?59、1960?68; 2021年に死亡)

ダドリー・ブルックス ? ピアノ、チェレスタ(1957?59、1960?63; 1989年に死亡)

タイニー・ティンブレル ? リズムとリードギター、マンドリン(1958?59、1963?68; 1992年に死亡)

ジョーダネアーズ - 男性コーラス・グループ

スウィート・インスピレーションズ - 女性・ソウル・コーラス・グループ(ツアーなどで共演)

家族

父:ヴァーノン・エルヴィス・プレスリー/Vernon Elvis Presley(1916年4月19日 - 1979年6月26日)

母:グラディス・ラヴ・プレスリー/Gladys Love Smith Presley
(1912年4月25日 - 1958年8月14日)

兄:ジェシー・ギャロン・プレスリー/Jesse Garon Presley(エルヴィスの双子の兄に当たり30分早く生まれたが、生後まもなく死去。グレイスランドの瞑想の庭に記念碑がある)

前妻:プリシラ・プレスリー/Priscilla Beaulieu Presley(1945年5月24日 - )
回想録の訳書に、『私のエルヴィス』(小沢瑞穂訳、新潮文庫、1987年)

娘:リサ・マリー・プレスリー/Lisa Marie Presley(1968年2月1日 - 2023年1月12日)

孫娘:ライリー・キーオ/Riley Keough(1989年5月29日 - )リサ・マリーの娘で女優

孫:ベンジャミン・キーオ、2020年7月12日、銃身自殺により死去[38]



衣装と食生活

1970年代の公演で主に着用された、金やダイヤモンド、ルビーなどを施したジャンプスーツの重量は25kg以上にもなっていた。これは敬愛していたゲイのピアニストであるリベラーチェの影響を受けたものだった。ただし、プレスリーは宝石類にあまり関心を持たず、舞台上で華やかに見えるものなら擬似品でも構わないと考えていた。

プレスリーはたばこを嫌っていた。たまに葉巻を吸う程度である。「オン・ステージ」で観客から渡された酒も口を付けるだけで殆ど飲んでいない。公演中に飲んでいたのは主にゲータレードである。

プレスリーはコーヒー炭酸飲料、「ピーナッツバターバナナベーコンサンドイッチ」を毎日のように食べていた。このサンドイッチは「エルヴィスサンド」と呼ばれている。ただし、このサンドイッチは多量のバターを溶かしたフライパンで揚げ焼きにした高カロリーなものであるため、プレスリーが1970年代以降体調を崩し、肥満化していった一因になったという指摘もある。
影響

日本では湯川れい子小林克也平尾昌晃山下敬二郎ミッキー・カーチス本郷直樹尾藤イサオささきいさお、鹿内孝、藤木孝、西郷輝彦坂本九西田敏行大瀧詠一小泉純一郎等がプレスリー・ファンとして知られている。

アメリカのティーンエイジャーの一部は、プレスリーのダックテールと呼ばれる横髪を後ろへなで付けるヘアスタイルを真似し始めた。また、黒いズボンや緩い開襟シャツといったプレスリーのスタイルは、ファッションの新たな流行を生み出した。プレスリーや、ジェームズ・ディーンの影響は、西側世界における3ティーンエイジャー世代の存在を印象付けた。エルヴィス・プレスリーを慕うミュージシャンに、ドイツオペラ歌手ペーター・ホフマンらがいる。

1977年ジミー・カーター大統領は「エルヴィス・プレスリーの死は、我が国から大事な一部分を奪いとったようなものだ。彼の音楽とその個性は白人のカントリー音楽と、黒人のリズム・アンド・ブルースのスタイルを融合させ、永久にアメリカの大衆文化の様相を変えてしまった。彼は、祖国アメリカの活力、自由、気質を世界の人々に植え付けるシンボルだった。」と語った。ジェームズ・ブラウンは「彼は白人のアメリカ人に目線を下げるということを教えた」という言葉を書き残している。

アメリカ内務省ゲイル・ノートン長官は2006年3月27日、プレスリーが約20年間を過ごした、テネシー州メンフィスの邸宅「グレイスランド」を国の国定史跡に認定した。認定の式典は一般公開で行われ、娘であるリサ・マリー・プレスリーも出席した。
交友関係
メンバー等

70年代のプレスリーのバックバンドを務めたベースのジェリー・シェフ
はプレスリーから要請が来た時、最初は断るつもりで対面した。その理由はジェリーが、ブルース以外の音楽には興味がなかったからである。その場のセッションでエルヴィスがブルースをいじり始め、ジェリーはその歌い方に感銘を受け、バンドに参加する決心をしたという。しかし、ジェリーが本当に心を魅せられたのはプレスリーの温かい人柄であったという。雑用スタッフも決して邪険にせず、この曲は嫌いなどということも無かったという。プレスリーはジェリー・シェフにブルースのソロを振った際、ジェリーはブルース以外の曲も演ろうと思い(公演で何度もブルースは弾いてきたので)アドリブでケイジャンを弾いた。それ以降、メンバー紹介の際には「フェンダーベースのジェリー・シェフです。今夜は何を演ってくれるのでしょう?」とMCするようになった。

ピアノのグレン・ハーディンは、プレスリーがリハーサルしていない曲をソロで振ってくることがあったため、それ以来、プレスリーにソロを要求されると思われる曲を練習していたという。

プレスリー復帰後のショーでリズムギターを務めていたジョン・ウィルキンソン(英語版)は、元々は歌手であった。プレスリーは休憩時間などにジョンに歌ってもらい、リラックスしていたようである。1990年代に左半身不随になり、2度とギターは弾けなくなってしまった。

プレスリーの友人で警備担当であるケネディ警部補が同じく警官であった弟を亡くした時、プレスリーは葬儀の資金を全額負担し、バックコーラスであったJ.D.サムナー&スタンプス・カルテットにゴスペルを歌わせた。葬儀の際に野次馬で式が邪魔されるのを避けるため、プレスリーは警官の制服を着用し、他の参列した警官と共に式に出席した。

エピソード

身長については諸説ある。1958年の軍隊の記録では6
フィート(182cm)とされている。[39] これはを履いた状態での記録である。[40] 他に、彼が17歳の時の運転免許証の記録によると5フィート11インチ(180cm)とされている。 また、彼のコスチュームデザイナーは5フィート11.5インチ(181cm)であったと語っている。など様々な記録が残っているため、実際は靴を履いた状態で180cmから182cmであったと推測できる。

髪は茶褐色であるが黒く染めていた。

趣味はバッジ収集。

ジェームズ・ディーンの大ファンで、歌手としての目標としていた。ディーンの代表作「理由なき反抗」の台詞を全て暗記し、周りを驚かせたこともある。


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