エルパソ_(テキサス州)
[Wikipedia|▼Menu]
□記事を途中から表示しています
[最初から表示]

これら一連の騒乱はリオグランデバレー下流域の住民ほぼ全てに影響を及ぼし、何百万ドルにものぼる損害を出し、その後も長きにわたって、この地のアメリカ人とメキシコ人の間に禍根を残すことになった[17]

同時に、アメリカ人の市への流入も続き、1920年には陸軍の兵も含めた人口は100,000人を超え、再び白人が多数派となった。その一方で、市内におけるメキシコ人とアメリカ人・メキシコ系アメリカ人の人種隔離は進んだ。これに呼応して、カトリック教会は教育や、全米カトリック福祉基金などの政治・市民団体を通じて、メキシコ系アメリカ人コミュニティの忠誠を集めようとした[18]

この地では次第に鉱業やその他の産業が発展していった。1897年にはエルパソ・アンド・ノースイースタン鉄道が開業し、周辺地域、特にニューメキシコ準州南東部における天然資源の採掘に役立った。1920-30年代には、禁酒法時代の酒密造などにより、商業が発達した[7]。しかし、軍の解散や農業経済不況、そして続く世界恐慌により、エルパソの地域経済は大打撃を受け、第二次世界大戦の終戦まで、エルパソの人口は特に白人が流出して減り続けた。それでも1940年代まで、エルパソの人口構成においては白人が多数派を占めていた。

第二次世界大戦中から戦後にかけてのこの地における軍拡、およびエルパソの東に広がるパーミアン盆地での油田の発見により、20世紀中盤のエルパソは再び急速に経済的発展を遂げていくようになった。製錬石油精製や、低賃金の工業(特に被服)の発展によって、市は成長していった。加えて、その多くが白人を占めていた、この地域の周縁部における人口が、エルパソのような都市部に流入し、資本と労働者が短期間で膨れ上がった。しかしそれと同時に、中流階級のアメリカ人は新しい、より高給の職を求めて、国内の他地域へと流出した。そのため、地元産業は安価なメキシコ人労働者を求めて、南へと目を向けた。加えて、ブラセロ・プログラムによって、1942-56年にかけて、メキシコ人労働者がエルパソの周縁部に流入し、流出した白人の穴を埋めた。やがて、そのメキシコ人労働者たちも、より高給の職を求めてエルパソ市内に流入した。1965年頃には、ヒスパニック系が人口構成における多数派を占めるようになった。その一方で、第二次世界大戦後の高成長は1960年代に入ると鈍化したものの、市は周辺地域の編入を繰り返し、またメキシコとの重要な経済関係もあって、成長し続けた。
地理フランクリン山地を背にしたエルパソのダウンタウンエルパソ・ラスクルーセス広域都市圏 .mw-parser-output .legend{page-break-inside:avoid;break-inside:avoid-column}.mw-parser-output .legend-color{display:inline-block;min-width:1.5em;height:1.5em;margin:1px 0;text-align:center;border:1px solid black;background-color:transparent;color:black}.mw-parser-output .legend-text{}  エルパソ都市圏   ラスクルーセス都市圏

エルパソは北緯31度45分35秒 西経106度29分19秒 / 北緯31.75972度 西経106.48861度 / 31.75972; -106.48861に位置している。市はテキサス州最西端に位置し、北と西はニューメキシコ州との州境に、また南西はメキシコとの国境となっているリオグランデ川をはさんでチワワ州に、それぞれ接している。テキサス州の都市ではあるものの、州の5大都市を全て含み、州の人口の約3/4が集中するテキサス・トライアングル[19]からは西へ遠く離れており、州都オースティン(東南東へ約850km)やダラスフォートワース(東北東へ約900km)よりもニューメキシコ州アルバカーキ(北へ約380km)やアリゾナ州フェニックス(西北西へ約560km)に近く、ヒューストン(東へ1,080km)よりもサンディエゴ(西へ約1,025km)に、また州最東端のオレンジ(東へ約1,225km)よりもロサンゼルス(西北西へ約1,130km)に近い。等時帯も州内の他地域が中部標準時/夏時間に属するのに対し、エルパソ都市圏に属するエルパソハズペスの2郡のみが、ニューメキシコ州と同様に山岳部標準時/夏時間に属している。

アメリカ合衆国国勢調査局によると、エルパソ市は総面積663.7km2(256.3mi2)である。そのうち661.1km2(255.3mi2)が陸地で2.6km2(1.0mi2)が水域である。総面積の0.39%が水域となっている。市域はベイスン・アンド・レンジ最東部のチワワ砂漠北部、リオグランデ川の北東岸に広がっている。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:171 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef