エルジェ
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第二次大戦中、ベルギーに留まっていたエルジェは、『20世紀子ども新聞』からベルギーの新聞『ル・ソワール』(Le Soir)に掲載紙を変えてタンタンの連載を続けていたが、この事が原因で終戦後一時職を失った上、一部から批判を受けることとなる[3] など、風当たりが強い時期を過ごすこととなる。

元レジスタンスのレイモン・ルブランの協力により、1946年に週刊誌『タンタン』(1988年に廃刊)が創刊され、2年ぶりに連載を再開する事となるが、これ以降も執筆の際の過労による神経衰弱が原因で度々連載が中断されることが多々あった。こうした事をきっかけとして1950年にスタジオ・エルジェが設立され、以後ボブ・ドゥムーアやロジェ・ルルーといったスタッフの協力を得てタンタンの連載を続けていくこととなった。

晩年エルジェはモダンアートに情熱を傾けるようになる。彼の遺作となった『タンタンとアルファ・アート』(Tintin et l'Alph-Art)が、モダンアートを題材にした作品となっていることもその一つの表れと言える。

1983年3月3日白血病により死去。75歳没。没後24年が経過した2007年5月22日、エルジェ伝を準備しているフィリップ・ゴダンの調査による説が『ル・ソワール』紙に公表され[4]、晩年に先天性疾患の治療のための輸血によりHIVに感染、肺炎で死亡した可能性があるとされた。
人物

エルジェというペンネームは本名のイニシャルGRを逆さにしたRGを
フランス語読みした音「エルジェ」に「Herge」の文字を当てたもの。


エルジェにはポールという弟がおり、第二次大戦後ベルギー占領軍の司令官を務めたこともある職業軍人でもある。『タンタンの冒険』シリーズにおいて、主人公であるタンタン、そしてスポンツ大佐の風貌は彼がモデルとなっているとされる。


彼にちなんだ小惑星エルジェがある。


2009年に ⇒ミュゼ・エルジェ(Musee Herge)がベルギーのオッティニールーヴァンラヌーヴに開館した。


2012年に、エルジェの生涯を描くドキュメンタリー映画『タンタンと私』が公開された。

脚注^ Herge Belgian cartoonist Encyclopadia Britannica
^ 谷克二『ブリュッセル歴史散歩 中世から続くヨーロッパの十字路』日経BP企画、2009年、95頁。.mw-parser-output cite.citation{font-style:inherit;word-wrap:break-word}.mw-parser-output .citation q{quotes:"\"""\"""'""'"}.mw-parser-output .citation.cs-ja1 q,.mw-parser-output .citation.cs-ja2 q{quotes:"「""」""『""』"}.mw-parser-output .citation:target{background-color:rgba(0,127,255,0.133)}.mw-parser-output .id-lock-free a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-free a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/65/Lock-green.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-limited a,.mw-parser-output .id-lock-registration a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-limited a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-registration a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d6/Lock-gray-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-subscription a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-subscription a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/aa/Lock-red-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-ws-icon a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/4c/Wikisource-logo.svg")right 0.1em center/12px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-code{color:inherit;background:inherit;border:none;padding:inherit}.mw-parser-output .cs1-hidden-error{display:none;color:#d33}.mw-parser-output .cs1-visible-error{color:#d33}.mw-parser-output .cs1-maint{display:none;color:#3a3;margin-left:0.3em}.mw-parser-output .cs1-format{font-size:95%}.mw-parser-output .cs1-kern-left{padding-left:0.2em}.mw-parser-output .cs1-kern-right{padding-right:0.2em}.mw-parser-output .citation .mw-selflink{font-weight:inherit}ISBN 978-4-86130-422-4。 
^ 『ル・ソワール』紙は第二次大戦中占領軍に接収されていたため「対独協力者である」との批判を招いた。
^Herge dans l'ombre de Tintin? - ⇒LE SOIR en ligne 仏語










タンタンの冒険
シリーズ作品

タンタン ソビエトへ

タンタンのコンゴ探険

タンタン アメリカへ

ファラオの葉巻

青い蓮

かけた耳

黒い島のひみつ

オトカル王の杖

金のはさみのカニ

ふしぎな流れ星

なぞのユニコーン号

レッド・ラッカムの宝

ななつの水晶球

太陽の神殿

燃える水の国

めざすは月

月世界探険

ビーカー教授事件

紅海のサメ

タンタンチベットをゆく

カスタフィオーレ夫人の宝石

シドニー行き714便

タンタンとピカロたち

タンタンとアルファアート

キャラクター

タンタン

スノーウィ

ハドック船長(英語版)

ビーカー教授(英語版)

デュポンとデュボン(英語版)

ラスタポプロス(英語版)

カスタフィオーレ夫人(英語版)

アルカサル将軍(フランス語版)

チャン(英語版)

ネストル(英語版)

ムスカル12世(フランス語版)

エザブ首長(フランス語版)

アブダラー(フランス語版)

ランピョン(英語版、フランス語版)

アルンバヤ族(フランス語版)

登場舞台

シルダビア

ボルドリア(英語版)

サン・テオドロス(フランス語版)


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