エルサルバドル
[Wikipedia|▼Menu]
また、この時期にコーヒーをはじめとする換金作物プランテーションが多数設立された。1872年から1898年の間エル・サルバドルは連邦再結成派の旗手となり、1896年にはエルサルバドルを中心にしてホンジュラス、ニカラグアとともに中央アメリカ大共和国が設立するが、1898年には崩壊した。
独裁と不安定ファラブンド・マルティ(右から二人目)

20世紀に入り、1907年からメレンデス一族の独裁が始まると、一時的に国内は安定を取り戻したが、世界恐慌で主要産業のコーヒーが打撃を受け、世情は再び不安定となった[7]

経済危機の混乱のなか、1931年マクシミリアーノ・エルナンデス・マルティネスクーデターでメレンデス一族から政権を掌握し、専制体制を敷いた[7]。その間に激しい言論弾圧が行われ、「ラ・マタンサ(スペイン語版、英語版)(La Matanza、「虐殺」の意)」により、反独裁運動を始めようとしていたファラブンド・マルティをはじめとする共産党員や、西部のピピル族などおよそ3万人が虐殺された[7]

1934年日本が主導して建国した満州国1934年承認1935年堀義貴初代駐エルサルバドル日本公使が着任し、正式に日本との間で外交関係が成立した[8]

第二次世界大戦では親米派として連合国の一員に加わるが、1944年にはクーデターが起き、マルティネス独裁体制は崩壊した[7]。しかし、その後も政情は不安定でクーデターによる政権交代が相次いだ。

そうしたなかで1951年には『サン・サルバドル憲章』が中米5か国によって採択された[7]。エル・サルバドルは1960年に発足した中米共同市場により最も恩恵を受けた国となり、域内での有力国となった。こうして1966年にようやく大統領選挙によってエルナンデス政権が発足するなどの安定を見せたが、1969年には、サン・サルバドル憲章以後も国境紛争や農業移民・経済摩擦など多くの問題を抱えて不和だったホンジュラスとの間で、サッカーの試合をきっかけとしたサッカー戦争が勃発した[7]
サッカー戦争以降オスカル・ロメロ聖職者としてエルサルバドル人のために尽力したが、1980年、凶弾に倒れた。2018年に列聖されている。エルサルバドルでの虐殺を描いた壁画

ホンジュラスとの戦争後、30万人にものぼるエルサルバドル移民がホンジュラスから送還されたことなどにより、経済、政治ともに一気に不安定化した。1973年の選挙結果の捏造以降、軍部や警察をはじめとする極右勢力のテロが吹き荒れ、「汚い戦争」が公然と行われるなかで、それまで中米一の工業国だったエルサルバドルは没落していくことになる。

1977年には人民解放戦線を名乗る左翼ゲリラに政府観光局長、外相が相次いで誘拐されるなど、治安の悪化は顕著なものとなった[9]

1979年にニカラグアでサンディニスタ革命が起きるのと時期を同じくしてロメロ政権が軍事クーデターで倒され、革命評議会による暫定政府が発足した[7]。しかし、極右勢力のテロは続き、1980年にはサンサルバドル大司教オスカル・ロメロをはじめとするキリスト教聖職者までもが次々と殺害されていく状況に耐えられなくなった左翼ゲリラ組織ファラブンド・マルティ民族解放戦線(FMLN)が抵抗運動を起こし、1992年までの長きにわたって続くこととなり、7万5,000人を超える犠牲者を出したエルサルバドル内戦が勃発した[7][10]オリヴァー・ストーン監督の映画『サルバドル/遥かなる日々』(1986年)は、この内戦を描いている。

事態の収拾のために暫定政府はアメリカ合衆国の支援を要請し、「エル・サルバドル死守」を外交の命題に掲げたアメリカ合衆国大統領ロナルド・レーガン中米紛争に強圧策を持って臨み、軍や極右民兵に大幅なてこ入れを重ねた。1982年には政府と革命勢力の連立政権が成立したが、これも極右勢力の妨害によってすぐに破綻した。こうして、ニカラグアの革命政権からの援助を受けてゲリラ活動を展開するFMLNと政府軍との内戦は泥沼化の様相を呈した。1984年にはナポレオン・ドゥアルテ(スペイン語版、英語版)大統領(民族主義共和同盟、略称ARENA。右派)が政権を担い、FMLNとの首脳会談を実現した。しかし、この間政府軍・ゲリラ双方による、弾圧・虐殺・暴行が横行した。特に政府軍のそれは半ば公然と行われたが、アメリカ政府はそれを恣意的に無視して政府軍を支援し続けた。

1989年にはクリスティアーニが大統領に選出されたが内戦は収まらなかった。1992年にようやく国際連合の仲介で和平が実現し1,000人からなるPKO国際連合エルサルバドル監視団、略称ONUSAL)の派遣が決定・実施され、7万5,000人にも及ぶ死者を出したエルサルバドル内戦は終結した。FMLNは合法政党として再出発し、1994年には総選挙が実施され、ARENAの候補であるカルデロン大統領が選出される一方、FMLNが第2党になった。

2001年にドル化政策(Dolarizacion)が実施され、それまでの通貨「コロン」に代わり、「米ドル」を自国の通貨として流通させるようにした[4]。ドルとコロンの間は1ドル=8.75コロンの固定レートにより取引されていた。現在、旧通貨コロンはほとんど流通していない。また、2003年には親米政策からイラクへ派兵し、2008年末まで駐留し続け、ラテンアメリカでイラク派兵を行った唯一の国となった。

2009年3月15日、大統領選挙でARENAのロドリゴ・アビラ(スペイン語版、英語版)を破ってFMLNのマウリシオ・フネスが勝利し、20年間続けてきた新自由主義路線の与党ARENAからの初の政権奪取を実現し、左傾化が進むラテンアメリカ諸国に新たな左派政権が誕生した[10]。18日にエルサルバドル中央選挙管理委員会が大統領選挙の最終結果を発表したところによると、左派のファラブンド・マルティ民族解放戦線党(FMLN)のマウリシオ・フネス候補は51.32パーセント(135万4,000票)、右派の民族主義共和同盟(ARENA)のロドリゴ・アビラ候補は48.68パーセント(128万4,588票)であった[11]
政治ナジブ・ブケレ大統領詳細は「エルサルバドルの政治」を参照

政体エルサルバドルの大統領が政府首班と国家元首を兼ねる共和制国家であり、行政権は大統領に属する。国民による普通選挙での過半数の得票で選ばれ、任期は5年。

2019年6月に就任したナジブ・ブケレは支持率の高さを背景に権力集中を進め、[12]2022年3月にギャングによって1日で62人が殺害される事件が発生した際に、非常事態宣言を布告している。軍を投入して「マラス」と総称されるギャング組織の摘発に取り組み、6万1300人以上を検挙した結果、世界で最も殺人率の高かったエルサルバドルで、2022年の殺人件数が前年の半分以下に減少し治安が急速に回復した。[13]

2021年の選挙で議会(後述)で自らの政党が多数派になると批判的な最高裁判所判事5人と検察庁長官の罷免が議会で可決され、憲法が禁じる大統領の連続再選をブケレ派で固めた最高裁判所が可能との見解を2021年9月に示し、2022年9月15日の独立記念日に開いた記者会見で2024年に再選へ出馬する意向を示した[12]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:105 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef