エリトリア
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合計(2018年)60億7300万[2]ドル(154位
1人あたり1758.713(推計)[2]ドル

独立
 - 日付
 - 承認エチオピアより
1991年5月29日
1993年5月24日
通貨ナクファERN
時間帯UTC(+3) (DST:なし)
ISO 3166-1ER / ERI
ccTLD.er
国際電話番号291

エリトリア国(エリトリアこく、英語:State of Eritrea)[3]、通称エリトリア(ティグリニャ語: ???? Ertra, アラビア語: ??????‎ Iritriyya)は、アフリカの角と呼ばれるアフリカ大陸北東部に位置する国家首都アスマラ[3][4]
概要

1960年から1991年までの30年間エチオピアからの独立戦争を経て、エリトリア解放戦線から一部左派が1970年に分派結成したエリトリア人民解放戦線(英語版)(EPLF、1994年以降は民主正義人民戦線に改組)を率いたイサイアス・アフェウェルキが大統領に就任し、マルクス主義・共産主義的政策に基づく政治を行っている[4]

亡命ライターによると2001年に政府要人の半数が逮捕されたが、その被逮捕者は2017年時点でも行方不明である[5]。2021年時点でもマルクス主義の影響を受けた、共産主義・社会主義国の一つである[4]

大学(唯一の大学であった国立アスマラ大学は閉鎖後に軍傘下教育機関らへ改組され、軍管轄のカレッジらは設立された)・野党、独立した報道機関が存在しない一党独裁国家であり、一般国民は18歳になると政府支配下の農民か兵士を含む低賃金または無賃労働の奴隷公務員となることが55歳(2019年時点での平均寿命は66.32歳[6])まで義務付けられている。これを嫌い、国外に出ようとする人も絶えない。人口の約80パーセントが生産性の低い農業牧畜に従事しているが、耕地はエリトリアの面積の2パーセントに過ぎず、食料の約70パーセントを輸入人道援助に頼っている[3][7]

ただし、2019年時点で外国人観光客にとっては、移動の自由を制限されて監視下にも置かれる北朝鮮よりは自由で、逆に他のアフリカ諸国より治安は良く、ホテルでならば電波も(動画視聴が不可能なレベルの非常に低速度であるが)一応繋がる[8]。2018年には、国境を巡る対立が20年も続いていた隣国エチオピアとの間で航空便の行き来を含む外交関係(国交)再開の合意に至った[8][9]

2023年時点でアフリカの中では2番目に若い独立国であり[10]東アフリカ北アフリカ諸国の一つに位置づけられる。西にスーダン、南にエチオピア、南東部にジブチ国境を接する。北は紅海に面し、1,350キロメートル以上にも及ぶ長い海岸線を持ち、領海内にはダフラク諸島など約350の小島が点在する[11]。対岸側にはサウジアラビアイエメンがある。

元々はエチオピア帝国の領土だった海岸部をイタリア王国植民地政策によって1890年に分離させた[3]地域であり、エリトリア独立戦争を経て1991年5月29日独立を宣言。1993年4月に実施された国際連合監視下の住民投票に基づき、同年5月24日に独立を達成した。1998年5月から両国はエチオピア・エリトリア国境紛争を戦ったが[3]、2018年7月8日に関係正常化の合意文書に調印した[12]。2020年から2021年には、エチオピア北部ティグレ州で起きたティグレ人民解放戦線(TPLF)の反政府蜂起に際して、エチオピア政府側で派兵した[13]

内政面では独立以降、中華人民共和国に留学して毛沢東思想や軍事知識を学んだイサイアス・アフェウェルキ大統領が実質的に率いる民主正義人民戦線の一党独裁制が続いている。「アフリカのシンガポール」というスローガンを掲げて、同国を手本にした国作りを進めている[14]が、国連や国際NGOなどから深刻な人権侵害圧政が報告されており「アフリカの北朝鮮」[15][5]と批判・揶揄されることが多い[16][17]国境なき記者団による世界報道自由度ランキングではほぼ毎回北朝鮮と最下位を争い[7][17]フリーダム・ハウスの報道の自由度調査(英語版)においてもワースト上位に位置する[18]。周辺諸国との紛争や兵役、抑圧的な政治体制により大量の国民が国外に脱出して国際的な難民問題になっている[19][20]
国名

正式名称は、??? ???? (Hagere Ertra)、通称、???? (Ertra)[21]アラビア語では ???? ??????‎。通称 ???????‎ (Iritriya)[11]

古代ギリシャ語の「赤」を意味するエリュトゥロス (?ρυθρ??) から派生したエリュトゥラー (?ρυθρ?) は、紀元前4世紀のヘレニズム時代の作品に紅海の赤の意味で使われている記録があり、1世紀に紅海からインド洋にかけての南海貿易について記された航海案内書『エリュトゥラー海案内記』にも登場する。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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