エリトリア
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現在では観光資源になっており、2017年に「アスマラ :アフリカのモダニズム都市」として世界遺産文化遺産)に登録されている[25][26]
イギリス軍政下1962年までのエリトリアの旗

第二次世界大戦中の1941年イタリア軍を駆逐し、イギリス軍が当地を占領する[27]。その後、イギリス保護領になった[3]
エチオピア・エリトリア連邦

第二次世界大戦後、国際連合はエリトリアの帰属に関する問題を審議した。そして、エリトリアはエチオピアとの連邦制にするという案が46対10で可決され、1952年9月15日、エチオピア・エリトリア連邦を形成した[27]
エチオピア軍政下

エチオピアは、予防拘禁法を発布し、10年間、新聞の編集者を逮捕したり、独立系の出版社を閉鎖、ナショナリストなどを国外へ追放し、労働組合政党を禁止した。また、エリトリアの国旗をエチオピアの国旗で置き換え、公の場や学校でのエリトリアの現地言語が使用を禁じさせられ、関税のエリトリアの取り分を差し押さえた。全ての産業も、アスマラからアディスアベバに移転させられた[27]。そして、1962年、エチオピア議会はエリトリアの併合を決議[3]し、11月14日、エチオピア軍は、エリトリア議会を強制的に解散し、エチオピアは正式にエリトリアを14番目の州として併合した[27]
エリトリア独立戦争エリトリア独立戦争詳細は「エリトリア独立戦争」を参照

1960年代からはエリトリア独立戦争として、解放勢力は独立運動を展開するようになった。1991年、独立勢力のうちの最大勢力、エリトリア人民解放戦線(英語版) (EPLF) は、ティグレ人民解放戦線 (TPLF) などと共にエチオピアの首都アディスアベバに突入。エチオピアに政変を起こし、メンギスツの社会主義政権は崩壊した。
独立

1991年5月29日、初代大統領のイサイアス・アフェウェルキが独立宣言を行った。この時の合意によりTPLFを中心としたエチオピア人民革命民主戦線 (EPRDF) によるエチオピア新体制(メレス・ゼナウィ政権)の確立に伴い、1993年5月24日に独立承認された。5月28日には国際連合へ加盟申請、承認された[27]
エチオピアとの対立と和平

1998年から2000年にかけてエチオピア・エリトリア国境紛争が発生。エチオピアとの関係が再び悪化した。2010年代後半、エチオピアの首相にアビィ・アハメドが就任すると、和解の機運が高まり、2018年7月9日に首都アスマラにおいて、エチオピアのアビィ首相とエリトリアのイサイアス大統領が首脳会談を行い、2018年9月5日にはエリトリアの首都アスマラで、エリトリアとソマリア、エチオピアの3カ国による「包括協力協定」に署名。さらに同年9月16日、サウジアラビアの仲介によりエチオピアとの間で「ジッダ平和協定」に署名した[28]

2020年から2021年にかけては、ティグレ州紛争でエチオピア政府を支持して参戦した。両国政府は当初、派兵の事実を否定していたが国際社会の圧力を受けて2021年に認め、「TPLFがエリトリアの首都アスマラを砲撃したため」と説明した。4月3日にエチオピア外務省はエリトリア軍が撤兵を開始したと発表した[13]
政治・立法・司法の一致詳細は「エリトリアの政治(英語版)」を参照アスマラの政庁首都アスマラ中心部

エリトリアは1993年の独立以来、旧エリトリア人民解放戦線 (EPLF) が改組した民主正義人民戦線 (PFDJ) 率いる暫定政府が、書記長イサイアス・アフェウェルキによって選出された国会議員150人による事実上の一党独裁制の下で統治している。恒久政府樹立に向けての憲法1997年、制憲議会により制定されたが、未だに施行されておらず、三権分立がなされていない[4]
元首

国家元首大統領。独立以来、初代大統領でPFDJ書記長イサイアス・アフェウェルキが一貫して就任している。憲法規定によれば、大統領は5年の任期を持ち、国民議会により選出されることとなっているが、憲法が未施行のため、選挙は無期延期となっている[17]
行政詳細は「エリトリアの行政機関」を参照

首相職は設置されていない。内閣は大統領が任命する閣僚で構成されるが、実際の行政権は大統領が行使し、内閣はその執行機関に過ぎない。よってその権力は極めて小さく、大統領の補佐機関であるといえる。
立法

議会一院制国民議会。104議席で、PFDJ中央委員会の委員40名と、任命制の議員64名で構成される。だが列国議会同盟 (IPU) によれば、エリトリアの国民議会はPFDJ中央委員会の委員75名、旧制憲議会議員60名、在外エリトリア人代表15名で構成される150議席の議会とされている。いずれにせよ、国民による選挙は行なわれておらず、PFDJの政策を追認する役割しか持たない。また、憲法が未施行であるため暫定的な権能しか有しておらず、任期も定められていない。
政党詳細は「エリトリアの政党」を参照

政党設立には国家による許可が必要であり、PFDJが唯一、政党としての活動を認められている。だが反政府勢力としてエリトリア解放戦線 (ELF) やエリトリア国民同盟 (ENA) などが存在している。
司法

最高司法機関は高等裁判所で、その下に地方裁判所などが存在。行政裁判などを担う特別法廷も設置されている。
国際関係詳細は「エリトリアの国際関係(英語版)」を参照

独立以来、エチオピアジブチイエメンとは国境問題を抱え、緊張状態にあった。エチオピアとは2018年に関係正常化で合意し、陸上国境での往来と航空路の再開、内陸国となったエチオピアに対する港湾の開放を取り決めた。
対エチオピア関係詳細は「エリトリアとエチオピアの関係(英語版)」および「エチオピア・エリトリア国境紛争」を参照

1998年からはバドメの帰属をめぐるエチオピア・エリトリア国境紛争が武力衝突に発展。2000年に和平合意成立、国際連合エチオピア・エリトリア派遣団(UNMEE)が展開した。国境案が提案されたものの、両国間の合意が進まなかった。2008年にUNMEEは撤退、エチオピア・エリトリア間の緊張状態が続いた。2010年、エチオピア・エリトリア国境で軍事衝突。エリトリア側23名とエチオピア側3名が死亡。

2018年7月9日、エリトリアの首都アスマラにおいて、エチオピアのアビィ首相とエリトリアのイサイアス大統領が20年ぶりの首脳会談を行い、長年にわたる戦争状態を終結することで合意。戦争状態の終焉や経済・外交関係の再開、国境に係る決定の履行を内容とする共同宣言に署名した[29][30]


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