エリトリア
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1998年5月から両国はエチオピア・エリトリア国境紛争を戦ったが[3]、2018年7月8日に関係正常化の合意文書に調印した[12]。2020年から2021年には、エチオピア北部ティグレ州で起きたティグレ人民解放戦線(TPLF)の反政府蜂起に際して、エチオピア政府側で派兵した[13]

内政面では独立以降、中華人民共和国に留学して毛沢東思想や軍事知識を学んだイサイアス・アフェウェルキ大統領が実質的に率いる民主正義人民戦線の一党独裁制が続いている。「アフリカのシンガポール」というスローガンを掲げて、同国を手本にした国作りを進めている[14]が、国連や国際NGOなどから深刻な人権侵害圧政が報告されており「アフリカの北朝鮮」[15][5]と批判・揶揄されることが多い[16][17]国境なき記者団による世界報道自由度ランキングではほぼ毎回北朝鮮と最下位を争い[7][17]フリーダム・ハウスの報道の自由度調査(英語版)においてもワースト上位に位置する[18]。周辺諸国との紛争や兵役、抑圧的な政治体制により大量の国民が国外に脱出して国際的な難民問題になっている[19][20]
国名

正式名称は、??? ???? (Hagere Ertra)、通称、???? (Ertra)[21]アラビア語では ???? ??????‎。通称 ???????‎ (Iritriya)[11]

古代ギリシャ語の「赤」を意味するエリュトゥロス (?ρυθρ??) から派生したエリュトゥラー (?ρυθρ?) は、紀元前4世紀のヘレニズム時代の作品に紅海の赤の意味で使われている記録があり、1世紀に紅海からインド洋にかけての南海貿易について記された航海案内書『エリュトゥラー海案内記』にも登場する。エリトリアの名前はイタリアが19世紀に植民地として支配するにあたり、ラテン語で「紅海」を意味する Mare Erythraeum にちなんでつけられたといわれる[22]

公式の英語表記は State of Eritrea(ステイト・オヴ・エリトレイア、エリトリーア)[3]。通称 Eritrea ([??r??tre??][23][??r??tri??][24])。

日本語の表記は、エリトリア国、通称、エリトリア[3]
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出典検索?: "エリトリア" ? ニュース ・ 書籍 ・ スカラー ・ CiNii ・ J-STAGE ・ NDL ・ dlib.jp ・ ジャパンサーチ ・ TWL(2022年12月)
詳細は「エリトリアの歴史(英語版)」を参照
先史時代

ダナキル砂漠現生人類ホモ・サピエンス)が進化した場所であり、近くにあるエリトリアは氷期終わりには既に現生人類が暮らしていた。北部のカローラから南東のベイルルに至るまで51箇所の先史時代の遺跡が見つかっている。エチオピアのブヤではイタリアの科学者によってホモ・エレクトスとホモ・サピエンスの間をリンクする100万年前の骨格が発見された。アブドゥールで見つかった12.5万年前の石器は海岸の海洋環境にヒトが住んでいたことの最も古い証明で、エリトリアの紅海沿岸部のマッサワでは旧石器時代アサリカキを捕獲する漁の道具が見つかっている。アフリカの角地域で最も多くの岩絵が見つかっている。主なモチーフは家畜化されたであり、家畜への描写が豊かであるのと同時に、野生動物をほとんど描いていないことから、牧畜民的な性質のものと言える。
古代
プント国エジプトの壁画に残るプント国アティ王妃の肖像

紀元前25世紀から、プント国がジブチ、エチオピア、エリトリア、北部ソマリア、スーダン紅海沿岸に形成されていた。古代エジプトハトシェプストの統治時代からプント国と貿易をしており、エジプトにはプント王パラフとその王妃アティの肖像が葬祭殿壁画に残っている。
オナ文化

紀元前4世紀。プント文化に続くオナ文化はアフリカの角地域において牧畜や農業といったコミュニティによって形成された都市文化である。アスマラの近郊のセムベル遺跡からはアメンホテプ2世の時代のエジプトの都市テーベと貿易していた貨物が発掘された。
ガシュ・グループ

エリトリア内陸部に位置するガシュ・バルカ地方にあるアゴルダトのバルカ川渓谷沿いに、ナイル川の上流山脈系統の遊牧民文化が栄えた、同時期にスーダンのヌビアで栄えたケルマ文化と共通する特徴を持っている。ケルマ文化に属する民族はアフロ・アジア語族に属し、ベルベル語派クシ語派に分類される言語を用いていたと言語学的な証拠から推定している。
ダムト王国 (D'mt)紀元前400年ごろのダモトの近隣王国プレ・アクスム期のコハイトの遺跡

紀元前10世紀-紀元5世紀。ダムト王国(英語版)はエリトリアと北部エチオピアの地域にあった。エリトリア南部のタマラがダムトの都市であり、大規模な寺院の遺跡があることからかなり栄えていた可能性が高い。5世紀にダムト王国が崩壊した後、アクスム王国が現れるまでのプレ・アクスム期には後継の小さい王国によって支配が続いた。紅海対岸側にあるアラビア半島南部のサバア王国からの勢力が進出しており、影響された遺跡が見つかっている。

北方の港町アドゥリスとマタラの中間にあるコハイトは政治的に重要な中心地であり、イエメンの水利システムが使われたダム土塁、岩絵、彫刻、円柱構造、墓所、貯水池、ネクロポリス(集団埋葬地)、時計塔、などの750の遺跡が発見された。
アクスム王国詳細は「アクスム王国」を参照アクスム王国の最盛期の範囲エザナ王の石柱(スッテレ)。


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