エリッヒ・フォン・シュトロハイム
[Wikipedia|▼Menu]
ハリウッド映画での活動が多かったが、ジャン・ルノワールのフランス映画『大いなる幻影』(1937年)では貴族出身の毅然としたドイツ軍将校を重厚に演じ、監督隠退後のキャリアにおける最高の演技を見せている。

また第二次世界大戦後の1950年に公開されたビリー・ワイルダーの『サンセット大通り』では、引退女優を演じるグロリア・スワンソンの執事を演じている、自らをモデルにしたような往年の監督などに扮し、アカデミー賞助演男優賞にノミネートされた。強烈な印象を残す俳優として称賛を浴び続けた。

もっともそのキャラクター自体の強烈さは、俳優専業となっても変わっていなかった。ビリー・ワイルダーは第二次世界大戦中の1943年の戦争映画『熱砂の秘密』を監督するに当たり、実在のドイツ軍指揮官エルヴィン・ロンメル将軍の役に敵役として相応しいシュトロハイムを選び、自ら出演を懇請して助演を得た(初対面時、彼を「偉大な監督」、と賞賛したワイルダーに対するシュトロハイムの返答は「もっとも偉大な監督、だ」という訂正であった)。

撮影に入ったワイルダーは、シュトロハイムのリアリズムへの拘り(軍帽に隠れる額から上は日焼けメイクをさせず肌の色のまっすぐな境界を見せる、実際に軍用に使われていた保護カバー付腕時計調達を要請する、など)に感銘を受けたものの、ついには危うく演出まで乗っ取られかけ、大変な目に遭ったことを、晩年のインタビューで語っている。
晩年

その後ヨーロッパに渡り、1955年に3本の映画に出演したのを最後に撮影現場から遠ざかり、1957年フランスパリ郊外のモールパ(英語版)[4]で72年の生涯を閉じた。亡くなる2ヶ月前にレジオンドヌール勲章を受章した。
完全主義者

シュトロハイムは度が過ぎるほどの完全主義者として知られた。その異常とも言える完全主義への執念は様々なエピソードに残されている。

例えば、サイレント映画にもかかわらず俳優にはきちんと台詞を読ませて、何度もリハーサルを行ったり、本物の小道具を使ったり、作品の脚本には映画では撮影しないはずの登場人物の生育歴が綿々と書きつづられていたり、ついには役者の下着にまでこだわるほど。また、当時はサイレント映画なのに、ドアベルまできちんと鳴るように気配りさせたという。『愚なる妻』ではモンテカルロカジノを、ハリウッドに実物そっくりに再現させてしまう。撮影期間も超過し完成するまで13ヶ月もかかり、製作費は最終的には110万ドルも投じられた。

『グリード』では全編ロケーション撮影を行ったが、ラストシーンはデスヴァレー(通称:死の谷)で撮影を強行し、酷暑のため病人が続出し、ついには死者まで出してしまう。『結婚行進曲』ではオリジナルの豪華な衣装を仕立て、豪勢な料理までも実際に作らせて、撮影中にキャストが口にした。これらはそれまでの映画撮影の常識を打ち破るものだった。

様々なものにこだわりすぎた挙句、ほとんどの作品で製作費がかさみ、上映時間もとても長くなってしまうことが多かった。その場合はほとんどの作品が勝手に編集されて大幅にカットされている。『悪魔の合鍵』ではフィルムの3分の1がカットされ、『愚なる妻』では上映時間が8時間にものぼったため、最終的に1時間50分ほどに短縮させられた。『グリード』では最初の完成作品は42巻で上映時間9時間を越える空前の長尺となり、会社と揉めた末2時間余りにずたずたにカットされた。第1部と第2部に分れていた『結婚行進曲』はスタジオから編集権を奪われたため、第2部は未公開で終わっている。

このような徹底しすぎる完全主義により、ほとんどの作品で予算超過・長尺となり、それが原因で会社やスタッフ、俳優とも何度も衝突している。結局シュトロハイムは、43歳にして映画づくりの道を断たれ、呪われた監督となった。
主な監督作品『悪魔の合鍵』のワンシーン

アルプス颪 Blind Husbands (1919年、脚本・原案・主演)

悪魔の合鍵 The Devil's Pass Key (1920年、脚本・原案・美術・主演)

愚なる妻 Foolish Wives (1921年、脚本・衣裳・主演)

メリー・ゴー・ラウンド Merry-Go-Round (1923年、脚本・美術・衣裳)

グリード Greed (1924年、脚本・美術)

メリー・ウイドー The Merry Widow (1925年、脚本・美術・衣裳)

結婚行進曲 The Wedding March(1928年、脚本・美術・衣裳・主演)

主な出演作品

國民の創生 The Birth of a Nation (1915年)

イントレランス Intolerance (1916年)パリサイ人

グレイト・ガッボ The Great Gabbo (1929年) グレイト・ガッボ

お気に召す儘  As You Desire Me (1932年)

アンナ・カレニナ Anna Karenina (1935年)

大いなる幻影 La Grande illusion (1937年)ラウフェンシュタイン大尉

あらし Tempete (1940年)

熱砂の秘密 Five Graves to Cairo (1943年)ロンメル将軍

サンセット大通り Sunset Boulevard (1950年)マックス

妖花アラウネ Alraune (1952年)ジェイコブ

ナポレオン Napoleon (1955年)ベートーヴェン

受賞歴
アカデミー賞
ノミネート
1951年 アカデミー助演男優賞:『サンセット大通り
ゴールデングローブ賞
ノミネート
1951年 助演男優賞:『サンセット大通り
参考文献^ a b “ ⇒Erich Von Stroheim movies, photos, movie reviews, filmography, and biography” (英語). AllMovie. 2014年3月2日閲覧。
^ “ ⇒How tall was Erich von Stroheim” (英語). How-Tall.com. 2014年3月2日閲覧。
^ a b 池内紀監修『読んで旅する世界の歴史と文化 オーストリア』 新潮社、1995年、270頁
^ “ ⇒Biography for Erich von Stroheim” (英語). TCM Turner Classic Movies. 2014年3月2日閲覧。

外部リンク.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}ウィキメディア・コモンズには、エリッヒ・フォン・シュトロハイムに関連するメディアがあります。

エリッヒ・フォン・シュトロハイム - allcinema

エリッヒ・フォン・シュトロハイム - KINENOTE

Erich Von Stroheim - オールムービー(英語)

Erich von Stroheim - IMDb(英語)

Erich von Stroheim - TCM Movie Database(英語)

Erich Von Stroheim - Find a Grave(英語)

典拠管理データベース
全般

FAST

ISNI

VIAF

国立図書館

ノルウェー

チリ

スペイン

フランス

BnF data

カタルーニャ

ドイツ

イスラエル


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:27 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef