1926年4月21日、父方の祖父である国王ジョージ5世治世下のイギリスにおいて、首都ロンドンのメイフェアで、ヨーク公アルバート王子(後の国王ジョージ6世)とエリザベス妃(スコットランド貴族第14代ストラスモア=キングホーン伯爵クロード・ボーズ=ライアン末娘)の第1子・長女として誕生。宮廷内で育てられた。
1936年12月11日、父のアルバート王子の兄で自身の伯父であるエドワード8世が退位し(王冠をかけた恋)、父がジョージ6世としてイギリス国王に即位すると、エリザベス王女は推定相続人(王位継承順位第1位)となった。また、第二次世界大戦中に英国女子国防軍に所属して公務に携わるようになった。
1947年に、フィリップ・マウントバッテンと結婚
(英語版)。2人の間にはチャールズ(第1子/第1王子)、アン(第2子/第1王女)、アンドルー(第3子/第2王子)、エドワード(第4子/第3王子)の4人の子女(3男1女)が誕生した。1952年2月6日、父の国王ジョージ6世が崩御し、1701年王位継承法に基づき、25歳の若年にして「女王エリザベス2世(Queen Elizabeth II)」としてイギリス女王(君主)に即位した[3]。なお、夫のフィリップは共同君主・共同統治者ではなく、「Prince Consort(いわゆる王配)」の称号を持たなかった。1953年6月2日に執り行われた自身の戴冠式は史上初めてテレビ中継された。
イギリス女王に即位したことにより、イギリス連邦に加盟する独立国家7か国、すなわち、グレートブリテン及び北アイルランド連合王国(イギリス)、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、南アフリカ連邦、パキスタン、セイロンの女王(国王)になった。ただ、連合王国女王のレルムに属する国家および領土の数は1956年から1992年までに独立あるいは共和制移行により少しずつ減少していった。例えば、1956年3月23日には共和制移行によってパキスタン王の称号を失った。
エリザベス2世の存命中は、上記の国々のうち君主制が存続する4か国(英、加、豪、NZ)に加え、ジャマイカ、バハマ、グレナダ、パプアニューギニア、ソロモン諸島、ツバル、セントルシア、セントビンセント・グレナディーン、ベリーズ、アンティグア・バーブーダ、セントクリストファー・ネイビスの合計16か国それぞれが、英連邦王国としてエリザベス2世を君主(国家元首)としていた。クック諸島など、上記の国と自由連合制をとる国や、王室属領でもエリザベス2世を元首としていた。また、共和制国家を含むコモンウェルス・オブ・ネイションズ(英連邦)には50か国以上が名を連ね、エリザベス2世はその元首(コモンウェルス首長)として連帯の象徴であった。
2011年のアイルランド共和国への公式訪問(英語版)や、ローマ教皇との間の相互訪問など、多くの歴史的な訪問および会見をこなしただけでなく、イギリスにおける権限委譲(地方分権)やカナダ憲法におけるパトリエーション(英語版)のように、立憲君主制下での重大な憲法改正を自身の治世で目の当たりにしてきた。
この他の個人的な出来事としては、4人の子女(3男1女)の誕生と結婚、および8人(4男4女)の孫と12人(5男7女)の曾孫の誕生、長男チャールズ3世のプリンス・オブ・ウェールズの叙任(英語版)(立太子の礼に相当)、そして自身の在位25周年記念式典(英語版)(シルバー・ジュビリー:1977年)、在位40周年記念式典(英語版)(ルビー・ジュビリー:1992年)、在位50周年記念式典(英語版)(ゴールデン・ジュビリー:2002年)、在位60周年記念式典(英語版)(ダイヤモンド・ジュビリー:2012年)、在位65周年記念式典(英語版)(サファイア・ジュビリー:2017年)、在位70周年記念式典(英語版)(プラチナ・ジュビリー:2022年)と、それぞれの祝事(英語版)を経験した。
2007年4月21日、81歳となり高祖母たるヴィクトリア女王を抜いて、イギリス史上最高齢の君主になった。
2015年1月23日にはサウジアラビア国王のアブドゥッラー・ビン・アブドゥルアズィーズが90歳で崩御したことにより、88歳(当時)で存命する在位中の君主の中で世界最高齢になった[4]。
2015年9月9日には、在位期間が63年と216日となり、高祖母であるヴィクトリア女王を抜いてイギリス史上最長在位の君主となった[5][3]。
2016年4月21日に90歳の誕生日を迎えたが公務への意欲は衰えず、晩年まで積極的に取り組んでいた。彼女が2015年度に常時の住居であるバッキンガム宮殿やウィンザー城などの宮殿や居城で接遇した人数は9万6000人に及ぶ。イギリスでは年度ごとの叙勲者には、君主が一人ひとりに勲章や記章を手渡すことが慣例となっている。近年では長男のチャールズ3世国王(当時、皇太子)や孫の一人であるウィリアム王子もこれを担うようになってはいるが、それでも彼女がこなす公務は年間200件を越えていた[6]。