エリオット・スミス
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アンダーソンは後に、「彼は悪い状態だったから、とても無理だった」と語っている[8]

2001年から2002年にかけてスミスはほとんどライブ活動を行っていない[注釈 11]が、2001年12月20日ポートランドのCrystal Ballroomで行われたショウのレポートは、彼の外見と行動に対する懸念を示していた。髪は伸び放題で脂ぎっており、顔は無精ひげにおおわれ、やつれていた。薬物あるいはアルコールの影響からか、彼は演奏中にしばしば記憶障害に陥り、指の動きもおぼつかなかった。スミスが歌詞(時折ギターのコードも)を思い出せないとき、観客はしばしばそれを叫んで教えなければならなかった。2002年に行われた3つのライブのうちの1つは、5月2日にウィルコとのダブルヘッドライナーとして行われたが、スミスのパフォーマンスは「疑う余地無くこれまでのミュージシャンにおける最悪のショウの一つ」、「耐え難い……悪夢」と評された。オンラインマガジンのGlorious Noiseのリポーターは「エリオット・スミスがこの1年以内に死んでも驚かないだろう」と述べている[9]

2002年の11月25日には、ベックとフレーミング・リップスのライブ会場にて、ロサンゼルス市警の警官と乱闘騒ぎを起こしている。スミスは一緒にいた彼女と共に身柄を拘束され、留置場で一晩過ごした[注釈 12]

このような苦境の中、2002年末からスミスは神経伝達物質修復センターに通い、点滴治療によってドラッグ中毒を克服した。さらには長年に渡って依存していたアルコールや抗うつ薬を断つことにも成功。ちょうど34歳の誕生日を迎えた頃にはクリーンな体に戻っていた。この時期にはノイズミュージックに入れ込み、iMacを使ったレコーディングにも取り組んでいる。また、映画『サムサッカー』のサウンドトラックのためにビッグ・スターの「Thirteen」と、キャット・スティーヴンスの「Trouble」のカヴァーなどを録音している。映画監督のスティーヴ・ハンフトはスミスの生前最後の6ヶ月を「トンネルを抜けた先にある光」のようだったと表現している。また、スミス自身もアルバム完成を目前に控えたインタビューでこう語っている

「ここ数年、本当に自暴自棄になっていた。でも今日は気分がいい。これはいいアルバムになると思うよ」[7]
突然の死Solutions Audioの壁面 2006年8月

2003年10月21日、スミスは胸に負った二箇所の刺し傷が原因で死去。34歳だった。スミスと同棲していたジェニファー・チバによると、当日二人は口論をしチバはバスルームに閉じこもっていたが、突然叫び声が聞こえたので飛び出してみると、そこにはキッチンナイフが胸に刺さった状態のスミスが立っていた。彼女はナイフを引き抜いて、救急車を呼んだが、スミスは搬送先の病院で午後1時36分に死亡した。当初は自殺とみられたが、公開された検視報告書では殺人の可能性も否定されていない。現場に残された付箋には「ほんとうに悪かったな。愛してるよ。神よ我を許したまえ (I'm so sorry?love, Elliot. God forgive me.)」と遺書のようなメモが残されていた[注釈 13]

スミスの死後、ロサンゼルス郊外にあるオーディオ関連製品の修理店Solutions Audioの壁面(『フィギュア8』のカバーに使用された)[注釈 14]には多くのファンが訪れ、花束や蝋燭をささげ、メッセージを寄せるようになった。
死後のリリース

遺作となったアルバム『フロム・ア・ベースメント・オン・ザ・ヒル』は2004年10月19日にリリースされた。遺族の希望により、本作の仕上げとミックスはロブ・シュナフとジョアンナ・ボルム(スミスの元彼女)が行っている。スミス自身は2枚組でのリリースを生前より望んでいたが、15曲入りの1枚のアルバムとしてリリースされた[注釈 15]

さらに、2007年5月8日にはKill Rock Starより2枚組アルバム『ニュー・ムーン』がリリースされた。このアルバムの収録曲は1994年から1997年にかけて録音されたもので、未発表曲、デモ、シングルB面曲で構成されている。売り上げによって得られた利益の大半はポートランドにある慈善団体に寄付された。
使用楽器
アコースティック・ギター

ヤマハ・FG-180

ギブソン・J-45

ノーマン製 12弦アコースティック・ギター

エレクトリック・ギター

ギブソン・ES-330

1969年以前のモデルと1969年以後のモデルの2本(色違い)を所有。それぞれチューニングを変えて使い分けていた。


その他

スミスはマルチプレイヤーであり、ピアノベースドラムクラリネットハーモニカなどの楽器も演奏した。特にピアノに関しては難解なセルゲイ・ラフマニノフの楽曲を弾きこなす技術を持っていた。
ディスコグラフィ
スタジオ・アルバム

『ローマン・キャンドル』 - Roman Candle (1994年)

『エリオット・スミス』 - Elliott Smith (1995年)

『イーザー / オア』 - Either/Or (1997年)

『XO (エックス・オー)』 - XO (1998年)

『フィギュア8』 - Figure 8 (2000年)

死後に発表されたアルバム

『フロム・ア・ベースメント・オン・ザ・ヒル』 - From a Basement on the Hill (2004年)

『ニュー・ムーン』 - New Moon (2007年) ※コンピレーション

『アン・イントロダクション・トゥ・エリオット・スミス』 - An Introduction to... Elliott Smith (2010年) ※コンピレーション

日本公演
1999年

1月12日 大阪:
心斎橋クラブクアトロ

1月14日 東京:渋谷クラブクアトロ

1月15日 東京:渋谷クラブクアトロ

2000年

7月28日
フジ・ロック・フェスティバル 1日目


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