エマムアリ・ラフモンとも表記される[3]。 1952年10月5日クリャーブ州
略歴
タジキスタン内戦中に、クリャーブ地方の政治勢力を背景に台頭し、1993年11月19日、第12期タジキスタン共和国最高会議において、最高会議議長に選出。1994年11月6日、タジキスタン共和国大統領に選出され、同年11月16日に就任した。1997年6月27日、内戦当事者であるタジク野党連合(英語版)(UTO)のサイイド・アブドゥッラー・ヌーリー(イスラム復興党指導者)と和平協定に調印し、タジキスタン内戦を終結させた。政権初期には、大臣のポストをUTOに割り当てるなど、反対派勢力に一定の配慮を行っていたが、徐々に独裁的な傾向を強めていき、反対派は同大統領が独立系メディアに圧力を加え、反対派リーダーを投獄したと批判した[4][5]。
1999年11月7日、憲法修正に伴い、7年の任期で大統領に再選。2003年6月22日の憲法改正により、2020年までの大統領任期の延長を可能にした。2006年11月6日の大統領選挙で3選を果たした[6]。
2007年4月14日、自らの姓からロシア語風の接尾辞を取り、エモマリ・ラフモノフから、タジク語風のエモマリ・ラフモンに改名した[7][8]。
2013年11月6日の大統領選挙で83.1%の票を獲得し4選[9]。2016年の憲法改正では、ラフモンに限って再選制限を撤廃し、事実上の終身大統領を可能とした[10]。2020年10月11日の大統領選挙では90.9%の票を獲得し5選[11][12][13]。 地理的重要性やロシア化に見舞われてきたタジキスタンにおいて強い指導者、カリスマ性を発揮していると言えるものの、その政治手法は権威主義的な統治であるとしばしば物議を醸す。選挙不正を実行して5回当選した他、息子ロスタムを次期大統領に選出するかのような姿勢を見せている。一方で経済成長や新冷戦における「東側」のスタンスを取りつつも、西側との融和外交で外交政策においては成功していると言える。その為開発独裁とも見ることができる。 タジク人。妻帯者であり、9子を有する。 長男のロスタム・エモマリ
政策
人物
娘のオゾダ・ラフモン(英語版)(オゾダ・エモマリ)は、2009年9月から同国の外務次官。
脚注[脚注の使い方]^ タジク語ラテン翻字: Emomal? Rahmon
^ ロシア語ラテン翻字: Emomali Sharipovich Rakhmonov
^ エマムアリ・ラモンタジキスタン共和国 大統領略歴(外務省)