エムデン_(軽巡洋艦・3代)
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^ ニオベはユーゴスラビア海軍に売却されて「ダルマチア」と改名したあと[15]、数奇な運命を辿った。
^ スラウェシ島マカッサルを出発後、5月4日に長崎港着、同日発[18]。5月10日に宮島着、広島市を観光して11日出発[19]。5月13日清水港に寄港、23日発[20]。5月24日から30日まで横浜滞在後(乗組員は上陸して東京鎌倉など各地を観光、独逸学園訪問など)[17]、6月2日函館港[21]。6月7日、函館を出発してアラスカへむかう[22]
^ (海軍公報 第118号 昭和2年5月26日(木) p.7)[25]〔 ○艦船所在 ○五月二十六日午前十時調【横須賀】千早▲、筑摩▲、榛名▲、北上日進▲ 、阿蘇、山城、五十鈴、(旗艦)長門、鳳翔、(旗艦)金剛、(旗艦)加古、古鷹、(旗艦)磐手▲、淺間春日、(司令)野風、沼風、波風、驅一、(司令)灘風、島風、夕風、汐風、(司令)帆風、太刀風、羽風、秋風、(司令)▲、▲、三日月白露驅三一、(司令)、波一、波二、波九、波一〇、呂一二、呂一一、呂一三、(司令)呂五五、呂五四、呂五六、伊二一、伊二、(司令)呂二二、呂二一、呂二〇/(司令)掃一、掃二、掃三、掃四、神風初霜夕立夕暮如月武藏鳴戸富士松江大泊高崎、(加賀)、(妙高)、(伊五八)(以下略) 〕
^ 二.資料募集ノ件[29] 「エムデン」ハ大戦ノ経験ニ鑑ミ獨独特ノ造船技術ニヨリ建造セルモノニシテ兵器等ニ於テハ学ブ所尠ナカラシモ一般艤装電気通信器及大戦ノ教訓ヲ活用セル諸点等参考トスベキ点多カラルベシト認メラル依ッテ構内関係各部職員ニテ仝艦ヲ見学スルヲ有利ト認ム此ノ際我海軍ヨリハ加古ヲ交換的ニ見学セシメ可然、ソノ範囲ハ追テ各部ト協議決定ノコトト致シ度 
^ 軍艦「加古」は神戸川崎造船所で建造[31]、1922年(大正11年)11月17日起工、1925年(大正14年)4月10日進水、1926年(大正15年)7月20日竣工。
^ 「エムデン」見学ノ件覚[32] 六-六-三〇 (略) (イ)艤装一般特ニ居住施設(加古級ト比較) 
^ 昭和6年7月2日命により横濱在泊中の独逸巡洋艦「エムデン」を見学す[33]。本艦は練習艦として既に昭和2年我国に来航し今回を以て第2回目とす
^ (4)船殻[35] (略)工作法に関しては外観上特に注意を惹きたるものなし。唯本級の進水は1925年の一月にして我古鷹級と建造の期を同じくせるが当時我海軍に於て電気溶接を実際に応用することの未だ行はれざりしに反し彼に於ては後に述ぶるが如き要領にして相当広範囲に溶接を使用し居る点は独逸に於ける溶接技術の進歩と云ふ点に於て相当注目に値するものと思考す。
^ 所見[36] 航海兵器ハ我ガ海軍ニ比シ特ニ優レタルモノヲ見サルモ全部純国産ナルハ羨望ノ極ミナリ
^ ◎謁見 獨國海軍練習艦エムデン艦長海軍大佐ワルター、ローマン今般來航ニ付敬意ヲ表スルタメ同艦副長海軍少佐ベルンハルト、リーベタンツヲ從ヘ本邦駐箚同國特命全権大使ドクトル、ハーバート、フォン、ディルクゼン同伴同大使附海軍武官海軍大佐ウェンネカート共ニ昨二十一日午前十時天皇陛下ニ謁見仰付ケラレタリ(以下略)

出典^ #エムデン来航件(昭和2年) pp.18-23(エムデン横浜滞在中の行事予定)
^ 世界海軍大写真帖 1935, p. 57.
^ 世界の艦船、近代巡洋艦史 2009, p. 124aドイツ/軽巡洋艦「エムデン」 EMDEN
^ ポケット海軍年鑑 1937, p. 167巡洋艦"エムデン Emden"
^ 世界の艦艇完全カタログ 2019, p. 86ドレスデ級小型巡洋艦
^ 世界の艦艇完全カタログ 2019, p. 94ケーニヒスベルク級小型巡洋艦(II)
^ 世界の艦船、近代巡洋艦史 2009, p. 42ドイツ/小型巡洋艦「ケーニヒスベルク」級 KONIGSBERG CLASS
^ 世界の艦艇完全カタログ 2019, p. 98aエムデン
^ a b #エムデン来航件(昭和2年) pp.39-41(独逸練習艦「エムデン」巡航予定表送附ノ件)

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