エミリー・ブロンテ
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その秋に、シャーロットはエミリーの詩稿を発見し、「普通、女性が書く詩とはまったく違っているという深い確信」を持ち、自分とエミリー、アンで詩集を出版しないかと持ち掛けた[4]。エミリーは完全に秘密主義者で、シャーロットと違って詩を出版しようと思っておらず、詩を盗み見され激怒したが、シャーロットの根気強い説得に応じ、しぶしぶ詩の出版に同意し、『カラー、エリス、アクトン・ベルの詩集』(1846年)として自費出版された[4]。エミリーが出版に妥協したのは、ブロンテ家の経済的問題があったことがうかがわれる[4]。当時の女性作家への偏見から、「エリス・ベル」という男性風の筆名を使用して出版した。これはまったく売れずに終わった。同年10月に、アンがゴンダルから手を引いているが、エミリーは生涯ゴンダルの創作を続けた[3]『嵐が丘』初版のタイトルページ

シャーロットの説得を受けて、小説『嵐が丘』を執筆。出版社に引き取ってはもらえたものの、出版には1年ほどかかり、その間は父の看病をしたり詩を書いたりした。1847年、『嵐が丘』はアンの『アグネス・グレイ(英語版)』とともに1847年に刊行されたが、評価は厳しく、それより姉の『ジェーン・エア』のほうがよく注目された。『嵐が丘』の評価が高まったのは、彼女の没後のことであった。

1848年9月、ブランウェルが過度の飲酒がもとで急死。その葬儀の際に風邪をひき、これがもとで結核を患った。しかし、エミリーは自分が結核であることを認めようとせず、最後まで医者を拒み続け、12月19日に30歳で死去した。墓所はハワースの聖マイケル教会の地下納骨堂。
作品

1836年頃から詩を書き始めた。1846年に姉妹とともにペンネームで『カラー、エリス、アクトン・ベルの詩集(英語版)』出版し、これも全く売れなかったが、現在は後期ロマン派の詩人としても評価が高い。

エミリーがアンとともに書いていた日誌は楽天的な調子だが、詩は対照的に陰鬱なもので、その多くは、大西洋上にある架空の島ゴンダルとガールダインでの政争や恋愛を描いた「ゴンダル物語」に属する詩であることが分かっている[3]。ゴンダルの世界はアンとのシェアード・ワールドだが、創作はエミリーが主導し、アンが付き合う形だったようである[5]。ゴンダル物語の散文小説は現存しておらず、この世界を舞台にした詩が残されている(いわゆる「ゴンダル詩」)。

「ゴンダル詩」以外で有名なものに、「私の魂は怯懦(きょうだ)ではない(No Coward Soul is Mine)」などがある。姉の権威によってシャーロットによる書き直しがあるという。

詩作全体からは、厭世主義から克己主義、そして神に対する確信に至るまでの、魂の軌跡を見ることができる[6]

カラー、エリス、アクトン・ベルの詩集(1846年、Poems by Currer, Ellis and Acton Bell)

『詩集 ブロンテ全集10』 森松健介ほか訳(みすず書房)- 全12巻(ブロンテ一家の作品を集めた)

小説


嵐が丘(1847年、Wuthering Heights)- ※下記以外はリンク先参照

『ブロンテ全集7』 中岡洋・芦澤久江訳(みすず書房)
また若き日に書かれた『ブロンテ姉妹エッセイ全集 ベルジャン・エッセイズ』(彩流社)がある

参考文献

芦澤久江「エミリ・ブロンテの詩について」『言語文化』第19巻、明治学院大学言語文化研究所、2002年3月、35-43頁、.mw-parser-output cite.citation{font-style:inherit;word-wrap:break-word}.mw-parser-output .citation q{quotes:"\"""\"""'""'"}.mw-parser-output .citation.cs-ja1 q,.mw-parser-output .citation.cs-ja2 q{quotes:"「""」""『""』"}.mw-parser-output .citation:target{background-color:rgba(0,127,255,0.133)}.mw-parser-output .id-lock-free a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-free a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/65/Lock-green.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-limited a,.mw-parser-output .id-lock-registration a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-limited a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-registration a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d6/Lock-gray-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-subscription a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-subscription a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/aa/Lock-red-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-ws-icon a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/4c/Wikisource-logo.svg")right 0.1em center/12px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-code{color:inherit;background:inherit;border:none;padding:inherit}.mw-parser-output .cs1-hidden-error{display:none;color:#d33}.mw-parser-output .cs1-visible-error{color:#d33}.mw-parser-output .cs1-maint{display:none;color:#3a3;margin-left:0.3em}.mw-parser-output .cs1-format{font-size:95%}.mw-parser-output .cs1-kern-left{padding-left:0.2em}.mw-parser-output .cs1-kern-right{padding-right:0.2em}.mw-parser-output .citation .mw-selflink{font-weight:inherit}NAID 40005510575。 

脚注^ 訳書に『ブランウェル・ブロンテ全詩集』(2巻組、彩流社、2013年)
^ 訳書に『パトリック・ブロンテ著作全集』(中岡洋編訳、彩流社、2013年)がある。
^ a b c d e f g 芦澤 2002, pp. 35?36.


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