エミリア=ロマーニャ州
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これらのシニョーリアは、教皇国家ヴェネツィア共和国ミラノ公国ヴィスコンティ家、のちスフォルツァ家)などの諸国も交えた争いが行われた。
16-17世紀1796年、ナポレオン戦争直前のイタリア

16世紀に現在の州域の大部分は教皇領となり、州域西部ではパルマ公国モデナ公国が独立を維持した。以後、この状態はナポレオン時代を挟みながら、おおむね19世紀のイタリア統一まで続くことになる。

15世紀末から16世紀初頭にかけて、教皇国家はかつての教皇領の統一を図った。チェーザレ・ボルジアは、イーモラフォルリを支配するカテリーナ・スフォルツァを降し、チェゼーナリミニペーザロファエンツァなどの諸都市を征服し、1501年にロマーニャ公爵に叙せられた。

モデナ公国のエステ家は12世紀末にフェラーラでシニョリーア(僭主制)を確立した一族で、その後モデナやレッジョを支配下に収めたが、16世紀末にフェラーラを教皇に奪われたため、モデナやレッジョ・エミリアのみを支配することとなった。

パルマピアチェンツァを治めるパルマ公国は、1545年にファルネーゼ家出身の教皇パウルス3世が庶子に与えたもので、1731年まで約200年間同家が支配した。その後曲折を経て、1748年からはブルボン家ブルボン=パルマ家)がパルマ公を相続した。
近代

フランス革命後、イタリアに侵攻したフランス共和国軍を率いたナポレオン・ボナパルトは、この地域を占領した。1796年、モーデナ、ボローニャ、フェッラーラ、レッジョ・エミーリアの代表者はチスパダーナ共和国(首都:ボローニャ)を建国。翌1797年、この国はポー川以北のトランスパダーナ共和国(首都:ミラノ)と合併してチザルピーナ共和国(首都:ミラノ)となった。チザルピーナ共和国はその後イタリア共和国イタリア王国と改められた。

ナポレオン没落後のウィーン会議により、教皇領モデナ公国オーストリア=エステ家)、パルマ公国が復活した。パルマ女公はナポレオンの皇后であったハプスブルク家ハプスブルク=ロートリンゲン家)皇女のマリア・ルイーザであったが、1847年にブルボン家ブルボン=パルマ家)の手に戻った。

イタリア統一の展開の中、これらの国では親サルデーニャ派が主導権を握り、1859年には中央統合諸州が結成された。1860年に住民投票が行われ、モデナ公国・パルマ公国の領土と、「レガツィオーネ」と呼ばれた教皇領の北部 (it:Legazione delle Romagne) はサルデーニャ王国に編入された。1861年、サルデーニャ王ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世によってイタリア王国が建国される。
現代

2020年新型コロナウイルス感染症の拡大が顕著となり、同年3月9日には日本の外務省が感染症危険情報を発出して渡航中止勧告(レベル3)を出す規模に拡大した[9]。同年、10月、イモラ・サーキットにおいて州の名を冠したF1レース、エミリア・ロマーニャグランプリが初開催(同サーキットでは以前よりイタリアグランプリなどの開催実績あり)[10]

2023年5月、州内が集中豪雨に見舞われ洪水地すべりが発生。9人が死亡、数千人が避難を強いられた[11]。同月末に開催が予定されていた 2023年エミリア・ロマーニャグランプリは開催延期となった。
行政区画エミリア=ロマーニャ州と各県

エミリア=ロマーニャ州は、以下の9県からなる。

左端の数字はISTATコード、アルファベット2文字は県名略記号を示す。人口は2012年1月1日現在[2]。面積の単位はkm2。

県名綴り県都面積人口
033PCピアチェンツァ県Piacenzaピアチェンツァ2,589284,440
034PRパルマ県Parmaパルマ3,449427,164
035REレッジョ・エミリア県Reggio Emiliaレッジョ・エミリア2,293517,772
036MOモデナ県Modenaモデナ2,688685,822
037BOボローニャ県Bolognaボローニャ3,703976,053
038FEフェラーラ県Ferraraフェラーラ2,631352,856
039RAラヴェンナ県Ravennaラヴェンナ1,858384,428
040FCフォルリ=チェゼーナ県Forli-Cesenaフォルリ2,377390,677
099RNリミニ県Riminiリミニ863322,028

住民
言語エミリア・ロマーニャ語の分布とその方言。 .mw-parser-output .legend{page-break-inside:avoid;break-inside:avoid-column}.mw-parser-output .legend-color{display:inline-block;min-width:1.5em;height:1.5em;margin:1px 0;text-align:center;border:1px solid black;background-color:transparent;color:black}.mw-parser-output .legend-text{}  エミリア語   ロマーニャ語

2006年の国立統計研究所(ISTAT)の統計によれば、6歳以上の住民の家庭内での会話における言語状況は以下の通り[12]。イタリア語(Italiano)、地方言語(Dialetto)、他の言語(Altra lingua)についてのデータで、左列が全国平均、右列がエミリア=ロマーニャ州の数値である。

家庭内の会話における使用言語全国州
イタリア語のみ、あるいは主にイタリア語45.5%55.0%
地方言語のみ、あるいは主に地方言語16.0%10.5%
イタリア語と地方言語の双方32.5%28.3%
他の言語5.1%5.5%

エミリア=ロマーニャ州では、地方言語としてエミリア・ロマーニャ語が話されている。ユネスコの「危機に瀕する言語」のレッドブック(英語版)やエスノローグでは、エミリア・ロマーニャ語はイタリア語と別の言語とされている。
エミリア・ロマーニャ語
エミリア・ロマーニャ語は州のほぼ全域に加えて周辺州の一部やサンマリノなどでも話されており、より小さくはエミリア語ロマーニャ語に分類される。エミリア・ロマーニャ語は北イタリアで話されているピエモンテ語ロンバルド語リグリア語ヴェネト語などと同じグループに属する言語で、ガロ・イタリア語と総称される(ロマンス諸語のうちの西ロマンス語の系統の一つ)。エミリア・ロマーニャ語話者は州外を含め約200万人とされるが、ユネスコによる「危機に瀕する言語」のリストでは「危険」(Definitely endangered)と評価されている。


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