教育方面では、聖アンドリューズ女子学校 (St. Andrew's Priory School) を建て、イオラニ学校 (Iolani School) の基礎を築いたりした。また、衛生方面ではクイーンズ病院 (The Queen's Medical Center) を設立するなどした。この病院は、現在でもハワイ州最大の市立病院である。
リホリホ亡き後、エマは1874年にハワイ国王の選挙に王位継承候補として立候補したが、カラカウア王が選出された。
エマはイギリスのヴィクトリア女王とも親しく、互いに親書を何度も交わしている。1885年4月25日、エマはホノルルで亡くなった。
エマ王妃はヌウアヌパリ・ルックアウトに向かう丘の上にある、このホノルル港を見渡せる館に住んでいた。この館は現在も「エマ王妃夏の離宮」(H?naiakamalama)として一般に公開されている[2]。
脚注^ カメハメハ4世のお后・エマ王妃
^ エマ王妃夏の離宮(読み)エマおうひなつのりきゅう(コトバンク)
関連項目
ハワイ王国
カメハメハ4世 (本名:リホリホ)
外部リンク
エマ王妃|ハワイ州観光局公式ラーニングサイト(Aloha Program)
典拠管理データベース
全般
⇒FAST
ISNI
VIAF
WorldCat
国立図書館
フランス
BnF data
ドイツ
アメリカ
⇒オランダ
その他
IdRef