エマニュエル・レヴィナス
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エマニュエル・レヴィナス(Emmanuel Levinas フランス語: [?man??l l?vinas]1906年1月12日 - 1995年12月25日)は、フランス哲学者第二次世界大戦後のヨーロッパを代表する哲学者[1]であり、現代哲学における「他者論」の代表的人物だとされている[2]エトムント・フッサールマルティン・ハイデッガー現象学に関する研究を出発点とし、ユダヤ思想を背景にした独自の倫理学、更にはタルムードの研究などでも知られる。

ロシア帝国、現リトアニアカウナス出身のユダヤ人リトアニア語名はEmanuelis Levinas(エマヌエリス・レヴィナス)。フランス語ではレヴィナ[levi?na]ともレヴィナス[levi?nas]とも発音する。息子は作曲家及びピアニストミカエル・レヴィナス
来歴
1906年から1945年まで

1906年1月12日(革命前のロシア暦では1905年12月30日)、ロシア帝国(現リトアニア)のカウナスに生まれる。カウナス並びにハリコフで中高等教育を受け、1924年ストラスブール大学を卒業。同大学在学中、モーリス・ブランショと親交を結んだ。1928年からフライブルク大学で、エトムント・フッサールマルティン・ハイデッガーらに師事。1930年に第三課程博士論文として「フッサール現象学の直観理論」を発表、これが翌年に出版されたことで、フランスに現象学を導入した第一人者となる[3]。同年にフランスに帰化。1934年よりパリのユダヤ人機関「全イスラエル同盟」の委員を勤める傍ら、数々の哲学論考を発表し始める。1935年、「逃走について」を発表。第二次大戦開戦後すぐの1939年フランス軍に召集され、翌年ドイツ軍の捕虜となる。戦時中は5年間近くにわたりフランスとドイツで抑留生活を送る。その間、フランス在住の妻や長女はかくまわれてホロコーストをのがれたが、義母は行方不明となった。父や兄弟など在リトアニアの彼の親族たちはほぼ全員、親衛隊 (ナチス)によって殺害された。
第二次世界大戦後から1950年代

戦後は1946年から47年にかけて、ホロコーストを生き延びたユダヤ人哲学者であるジャン・ヴァール主宰の哲学学院「コレージュ・ド・フランス」に於いて、連続講義「時間と他なるもの」を行う。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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