南側にセイクレッド・ヒマラヤ・ランドスケープ(英語版)(ネパール、インド、ブータン)という保護区があり、カンチェンゾンガ国立公園、サガルマータ国立公園、ランタン国立公園などもその域内にある[18]。北側のヤルンツァンポ川の分水界まで広がるチョモランマ国家級自然保護区(英語版)(中国)は2004年にユネスコの生物圏保護区に登録された[13]。 1893年、探検家として知られ、政務官を務めていたフランシス・ヤングハズバンドと第5グルカ・ライフル連隊の勇将として鳴らしていたチャールズ・グランヴィル・ブルース 第1次は登頂そのものでなく、登頂のための周辺調査とルート確認を目的として英国を出発。インドのカルカッタに上陸後、ダージリンからチベットを回り込んでエベレストを目指した。チベットのカンパ・ゾンでは、体調がすぐれなかったケラス博士が心臓発作で亡くなるというアクシデントに見舞われたが、遠征隊はエベレストのノース・コル(North Col、チャン・ラとも呼ばれる、標高7020 m)にいたるルートを確認するとともに、エベレスト周辺の詳細な地図を初めて作成することに成功して帰国した。 1922年組織・実行。 3度の頂上アタックを行った。7620 mの地点に設けられた第5キャンプから第1次アタックチームを率いたマロリーは、酸素ボンベなどは信頼性が低いと考えてこれを用いず、サマヴィルやノートンらと無酸素で北東稜の稜線に達した。薄い空気に苦しみながら、一同は8225 m[注 2]という当時の人類の最高到達高度の記録を打ちたてたが、天候が変化し、時間が遅くなっていたため、それ以上の登攀ができなかった。次にジョージ・フィンチとウェイクフィールド、ジェフリー・ブルースからなる第2次アタックチームは酸素ボンベをかついで5月27日に8321 mの高さまで驚異的なスピードで到達することに成功した。ブルースの持っていた酸素器具の不調で第2次チームが戻ってくると、マロリーはフィンチ、サマヴィルと第3次アタックチームを編成して山頂を目指そうとした。しかし、マロリーらがシェルパとともにノース・コル目指して斜面を歩いているとき、雪崩が発生して7名のシェルパが落命したため、一行は失意のうちにベースキャンプに戻り遠征は終了した。 1924年組織・実行。 2月28日にリヴァプールを出航、3月にダージリンへ到着し、3月の終わりにダージリンから陸路でエベレストを目指した。4月28日、遠征隊はロンブクに到着してベースキャンプを設営し、そこから順にキャンプをあげていった。彼らは7000 m付近に第4キャンプを設けて頂上アタックの拠点とし、そこから頂上までの間に2つのキャンプを設けることにした。ノートンはサマヴィルとともに酸素ボンベなしで頂上を目指し、途中から一人で北壁をトラバースし標高8572 mに到達、人類の最高到達記録を更新したが引き返した。マロリーは6月8日、22歳の若いアンドリュー・アーヴィン1人を連れて第6キャンプを出発、酸素ボンベを使用して山頂を目指した。2人はこのまま行方不明になり、第3次遠征隊は山を下りた。さらに許可のないロンシャール谷に入っていたこと、彼らが帰国後に上映した記録映画の中で紹介されたチベット人の習俗が不正確であったことが当時のダライ・ラマを怒らせ、以後9年間エベレスト入山の許可が出なかった[23]。 1933年、イギリス第4次遠征隊。隊長ヒュー・ラットレッジ
登頂史
遠征隊実現まで
第1次遠征隊
参加者
チャールズ・ハワード=ベリー (Charles Howard-Bury
アレクサンダー・ケラス (Alexander Kellas) 博士 - カシミール地方に詳しく高度と人体の影響に関しての専門家であった。
オリヴァー・ウィーラー (Oliver Wheeler) - 医師。
ヘンリー・モーズヘッド (Henry Morshead) - 測量班としてのちにインド測量局の長官をつとめることになる。
アレクサンダー・ヘロン (Alexander Heron) - インド測量局局員。
ハロルド・レイバーン (Harold Raeburn)、 - 50代のベテラン登山家。登攀部隊のリーダー。
ジョージ・マロリー - 若手登山家として知られていた。
ジョージ・フィンチ - オーストラリア生まれ。同じく若手登山家として知られるが、直前になって健康を理由にメンバーから外された。
ガイ・ブロック (Guy Bullock) - フィンチに代わるマロリーの登山仲間で、マロリーの推薦によって選ばれた。
第2次遠征隊
参加者
チャールズ・グランヴィル・ブルース准将 - 隊長として宿願であった。
エドワード・リーズル・ストラット (Edward Lisle Strutt) 大佐 - 副隊長。
ジョージ・フィンチ - 前回不参加者。
ハワード・サマヴィル
エドワード・ノートン - 前回不参加者。
トム・ロングスタッフ - 同地方の地理にも詳しい医師。
アーサー・ウェイクフィールド (Arthur Wakefield) 博士 - 同じく医師。
ジェフリー・ブルース (Geoffrey Bruce) 大尉 - ブルース准将の甥でやはりグルカ連隊所。
ジョン・モリス (John Morris) 大尉 - ブルース大尉の同僚。
マロリー - 前回のメンバー。
モーズヘッド - 前回のメンバー。
ジョン・ノエル (John Baptist Lucius Noel) 大尉 - 遠征隊の模様を映写機で撮影することになる。
第3次遠征隊
参加者
チャールズ・ブルース准将 - 第2次同様に隊長だったが、ダージリンからエベレストまでの道中でマラリアのため離脱。エベレスト登山はこれが最後となり、1939年に死去した。
ノートン大佐 - 副隊長だったが、ブルース准将の離脱で隊長となった。
マロリー - 経験者。
ジェフリー・ブルース - 経験者。
サマヴィル - 経験者。
ベントリー・ビーサム
E・シェビア (E. O. Shebbeare)
ノエル・オデール - 地質学者。
アンドリュー・アーヴィン
その他
第4次遠征隊から第二次世界大戦前まで