エブラーヒーム・ライースィー
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2017年5月19日に大統領選が行われ、翌20日にアブドッレザー・ラフマーニー・ファズリー(ペルシア語版、英語版)内務大臣(ペルシア語版、英語版)より開票結果が発表、開票された4122万131票の有効票のうち、ライースィーは約38.3%に相当する1578万6449票を獲得したが、現職のロウハーニー大統領が有効投票の過半数となる2354万9616票を獲得したため、決選投票にはもつれ込まず、ライースィーの落選が確定した[21]。イランでイスラム共和制による大統領選挙が始まって以来、落選した大統領候補としては得票数、得票率ともに過去最高を記録しており、イラン大統領選史上で最も僅差で落選した大統領候補となった。これまでは、2009年の大統領選挙で落選したミールホセイン・ムーサヴィー候補が獲得した1321万6411票(得票率は約33.75%)、および2005年の大統領選挙で落選したハーシェミー・ラフサンジャーニー候補が獲得した得票率35.93%(得票数は1004万6701票)が過去最高であった[22]
2021年の大統領選挙

2020年6月の時点では2021年の大統領選挙(ペルシア語版、英語版)には出馬しない意向を示していた[23]が翻し、2021年5月に立候補届を提出[24]。同月25日に立候補届が受理されたことが発表された[25]

2021年6月18日に投票が行なわれ、集計の結果、開票された2893万3004票のうちライースィーが約61.95%に相当する1792万6345票を獲得し、決選投票にもつれ込まず1回目の投票で当選が確定した[26][27]
大統領として
内政

内政においては、人権弾圧を主導したとされ、検事としての40年間に反体制派数千名を粛正し「テヘランの屠殺者」と呼ばれた[28][29]。米国米国務省の マシュー・ミラー報道官は5月20日の記者会見で、ライシ師がイラン国民の弾圧を続けてきた事実を指摘し、「彼の両手が血で汚れている現実は変わらない」と批判した[30]
外交

2021年9月、就任後の初外遊先としてタジキスタンを訪れ、ドゥシャンベで開催された上海協力機構(SCO)の首脳会議にも出席したライースィーはイランの正規加盟が認められたことを受けて「SCOへの加盟で一方的な制裁に対抗できるようになる」と述べた[31]

妻のジャミーレ・アラモルホダー(ジャミレ・アラモルホダ)も大統領夫人として外交活動を行なうことがあり、2023年パレスチナ・イスラエル戦争では欧州40か国の首脳夫人に書簡を送って、ガザ地区の窮状を訴え、イスラエルを非難した[6]
経済

2017年、ライースィーは「抵抗経済の活性化がこの国の貧困と剥奪を終わらせる唯一の方法だと考えている」と報告した。彼は商業小売よりも農業部門の発展を支持している。

同年、彼は汚職に立ち向かい600万人の雇用を創出するために、現在国民1人当たり45万リヤルである月々の国家給付金を3倍にすると約束した。

また、対イラン制裁について「制裁は経済的権限強化の機会とみなされるべきであり、我々は不足するのではなく自らを強化すべきである」と述べ、制裁解除の問題に関して「(選挙で)就任するすべての政府は圧政的な制裁を解除すべきであり、それは真剣に追求されなければならない。そして制裁の無力化は議題にされるべきであり、我々はそうすべきではない」と述べている[32]
選挙経歴

年選挙の種類得票数得票率順位結果
2006年専門家会議選挙200,90668.6%1位当選
2016年専門家会議選挙(ペルシア語版、英語版) 325,139 80.0%1位当選
2017年大統領選挙(ペルシア語版、英語版)15,786,44938.30%2位落選
2021年大統領選挙(ペルシア語版、英語版)17,926,34561.95%1位当選

墜落事故により死去詳細は「東アーザルバーイジャーン州ヘリコプター墜落事故」を参照

2024年5月19日、ライースィーはアゼルバイジャンを公務(ダムの開所式)で訪問した後、ホセイン・アミールアブドッラーヒヤーン外務大臣、東アーザルバーイジャーン州知事のマーレク・ラフマティー(英語版)、東アーザルバーイジャーン州での最高指導者代理人のモハンマド・アリー・アーレハーシェム(英語版)[33]とともにヘリコプターに搭乗し、タブリーズに向けて出発したが、その後イラン時間UTC+3:30)13時30分頃、一部の乗客が緊急通報を行った直後にライースィーらを乗せたヘリコプターがディズマール森林地帯に墜落した。発見された機体は黒焦げの状態であり、イラン当局は搭乗者全員の死亡を発表した[34]
私生活

ライースィーは、マシュハドの金曜礼拝導師を務めるアフマド・アラモルホダー(ペルシア語版、英語版)の娘であるジャミーレ・アラモルホダーと結婚している。彼女はシャヒード・ベヘシュティー大学(ペルシア語版、英語版)の准教授で、また、同大学の基礎科学工学研究所の所長でもある[35]。夫婦の間には娘が二人いる。
脚注
注釈^ 敬称であるセイイェドを省略して単にエブラーヒーム・ライースィー、そこから長母音などを省略してエブラヒム・ライシ、あるいはそのアラビア語読みであるイブラヒム・ライシなどとも表記される。

出典^ “イラン基礎データ”. 日本国外務省. 2023年6月23日閲覧。
^ 「イラン大統領 ヘリ墜落死/外相も 濃霧、山中に残骸」『読売新聞』朝刊2024年5月21日1面
^ a b c “Ayatollah Khamenei appoints Iran's new Judiciary chief”. Press TV. (2019年3月7日). https://www.presstv.com/Detail/2019/03/07/590438/Iran-Leader-Ayatollah-Khamenei-appointment-Ebrahim-Raeisi-Judiciary-chief-Sadeq-Amoli-Larijani 2019年3月13日閲覧。 
^略歴: イスラーム聖職者でムスリムのセイイェド・エブラーヒーム・ライースィー (??? ????? :: ??? ??????? ? ???????? ??? ??????? ?????) (ペルシア語)
^ Gambrell, Jon (2024年5月20日). “'No sign of life' at crash site of helicopter carrying Iran's president, others” (英語). AP News. https://apnews.com/article/iran-president-ebrahim-raisi-426c6f4ae2dd1f0801c73875bb696f48 2024年5月20日閲覧。 
^ a b イラン大統領夫人書簡 40通 「反イスラエル」主張 欧州の送付『読売新聞』朝刊11月9日(国際面)同日閲覧
^ 自身のパスポートを掲げるライースィー (ペルシア語)


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