1970年4月26日、エフエム東京の前身にあたるFM東海を引き継ぐかたちで、FM放送を開始した。
FM東海で放送されていた『望星高校講座』[注釈 12][注釈 13]、『FMファミリー』、『JET STREAM』は、エフエム東京へ引き継がれて放送。
1974年3月、『ヤマピット ポップス ベスト10』(終了時は『コスモ ポップス ベスト10』)が開始。
同年4月、 『ステレオ歌謡バラエティ』内で『歌謡&ポップス・ワイド・ベストテン』が開始。(『カウントダウン・ジャパン』の原点)
4チャンネルステレオがブームであった1970年代前半には、山水電気がスポンサーとなり、同社のQS方式を使った4チャンネル音声での放送も実施されている。
開局から1980年代半ばまでは、時報CMのスポンサーであったトリオ(現・JVCケンウッド)をはじめ、FMステレオ放送を高音質で聴取するための音響機器メーカーの多くが番組スポンサーを務めていた(『DIATONE ポップスベスト10』、『Lo-Dライブコンサート』[注釈 14]、『TDKオリジナルコンサート』など)。
1989年10月、『アフタヌーン・ブリーズ』が開始。
1990年3月、『FMファミリー』が終了。4月から『FMソフィア』が開始。
開局当初から1980年代中盤ごろまでは、朝は5時開始から深夜は翌朝3時(日曜日深夜は月曜2時)までで放送終了し、未明の2-3時間はメンテナンスタイムに充当していたが、1986年の横浜エフエム放送(FM横浜)を皮切りとして相次いで開局を果たす、首都圏周辺地域の民放FM第2波(JFL・独立系)の編成が24時間終日放送になることに対抗して、24時間放送へ移行するようになる。 1990年9月までは、『高校通信教育講座』を除き、ゴールデンタイムは1時間単位の番組が並んでいた。これらの番組を含め、全日であらかじめ流れる楽曲が決まっている番組が多かった。しかし生放送を中心にした構成へ変化[注釈 15]、選曲も、ポピュラー音楽やクラシック音楽を中心にしながら、邦楽(純邦楽)を扱う番組も放送されていたものの[注釈 16]、1990年代は、生放送のワイド番組を中心にトークの合間に音楽を放送する番組構成へ変化した。 ワイド番組の多くは、出演者や番組内容・コンセプトの大幅な変更を実施した際でも新番組にはせず、番組タイトルはそのまま使用するケースが非常に多く見られた(午前の『FMソフィア』、昼の『アフタヌーンブリーズ』、夕方の『エモーショナル・ビート』、夜の『ミリオンナイツ』等)。ところがその紛らわしい手法はリスナーの生活スタイルにも影響を及ぼす面もあった。一方で、朝6 - 8時台が通勤・通学リスナー向け、9 - 11時台が主婦層、ランチタイム - 昼下がりがOL・・・・などといった主なメインターゲットを絞った番組骨格自体はこの頃に成立し、コンセプトを大幅変更してもおおもとのターゲットはそのままで変えておらず、2020年代でも大きく崩さずに構成されている(これはニッポン放送が提唱したオーディエンス・セグメンテーションの応用理論である)。 1992年10月、『山下達郎のサンデー・ソングブック』が開始。 1993年4月、『ミリオンナイツ』が開始。初代DJは赤坂泰彦。 同月、『カウントダウンステーション』が開始(『カウントダウン・ジャパン』と『ポップス・ベスト10』を軸としたカウントダウン番組の総合枠)。 1995年1月、『木村拓哉のWhat's UP SMAP!』が開始。 同年4月、『桑田佳祐のやさしい夜遊び』が開始。 1996年4月、『福山雅治のSUZUKI Talking F.M.』が開始。 1998年4月、『エモーショナル・ビート』が開始。 1999年3月、『ミリオンナイツ』が終了。4月から『やまだひさしのラジアンリミテッド』が放送開始。 2002年4月期、大幅に改編。
1990年代1990年代
2000年代2000年代
午前は『FMソフィア』が終了し、『柴田玲のSUPREME』が開始。日中は『アフタヌーン・ブリーズ』が終了し、『ANNAのHAPPY-GO-LUCKY』、『坂上みきのBeautiful』(金曜は『Beautiful Hit Magic』として放送)が開始。