愛称(コミュニケーションネーム)の「AIR-G'」は開局10年目の1992年から使用している。「air」はairplayで共感の世界を広げていく、という意味があり、「G'」にはGee Great(なんて素敵・素晴らしいんだろう)とリスナーに歓んでもらいたいという願いが込められている[5]。また15周年以降はステーションメッセージを制定。開局15周年の1997年は「Hug Hug Kiss Kiss, Air-G'」、開局20周年を前に2001年からは「アイスルコトダヨ」、開局25周年を迎えた2007年は、「ほら、となりにいるよ」をそれぞれ制定した。
かつては本社スタジオと時計台ビル廊下の境界である壁に大きな防音ガラス窓を取り付け、放送中のスタジオを一般に公開していた。現在は撤去され、一般公開も行っていない。JFN系列であるが、TOKYO FM制作の同時ネット番組の比率が平日日中において比較的低く、自社制作の割合が多い。
2013年6月から3年間社長を務めた宇佐美暢子(道新出身)は北海道内の民放では初の女性社長だった。
関連会社として、制作プロダクションのエアジーワークスを有する。
沿革
1981年(昭和56年)9月21日 - 株式会社エフエム北海道設立。
1982年(昭和57年)9月15日 - 北海道初、全国6番目の民放FM局として本放送開始(当初は札幌送信所と旭川送信所の2ヶ所で開局)。
1983年(昭和58年)12月1日 - 小樽中継局開局。
1984年(昭和59年)9月15日 - 函館送信所開局。
1986年(昭和61年)9月15日 - 札幌大通中継局開局。
1987年(昭和62年)9月15日 - 帯広送信所開局。
1990年(平成2年)9月15日 - 釧路送信所開局。
1992年(平成4年)
4月6日 - コミュニケーションネームとして、通称名を「AIR-G'」へ変更。
9月15日 - 網走送信所・北見中継局開局。
1993年(平成5年)
4月 - 24時間放送開始(5:00基点で月曜 2:00 - 5:00を除く[注 6])
9月15日 - 室蘭送信所開局(この時点で道内主要地域の基幹局が全て揃う)。
1995年(平成7年)4月 - 札幌地区でFM文字多重放送開始(札幌・札幌大通・小樽)。
1996年(平成8年)4月 - 放送エリア内全域でFM文字多重放送開始。
2001年(平成13年)11月15日 - 洞爺中継局開局。
2003年(平成15年)3月 - 北海道文化放送と共同で開設したサテライトスタジオ「えき☆スタ」がオープン。
2005年(平成17年) - FM NORTH WAVEとの共同イベント「FM.W05」初開催(引き続き2006年、2007年も開催)。
2007年(平成19年)・2008年(平成20年) - 放送エリア外となっている標津郡中標津町で、同町の電気店が当局を違法中継し、電気店主が逮捕される(詳細は後述)。
2008年(平成20年)
SMILE SAFETY PROJECTと題される交通安全キャンペーンが開始。
11月 - イーアス札幌内にサテライトスタジオ「AIR-G' studio iias」を開設(翌2009年(平成21年)末で閉鎖)。
2011年(平成23年)
1月26日 - KDDIのauスマートフォン・携帯電話向けの民放FM52局ストリーミング配信サービス「LISMO WAVE」にて全国配信を開始。(2019年(令和元年)9月30日終了)
4月20日 - 北海道域内を配信エリアとするradikoの実用化試験配信開始。
12月5日 - Android・iOS向けのJFN系FM局ストリーミング配信サービス「ドコデモFM」にて全国配信を開始。(2021年(令和3年)2月28日終了)
2014年(平成26年)- 4月1日 - エリアフリー聴取サービス「radiko.jpプレミアム」による全国配信を開始。
2016年(平成28年)9月30日 - FM文字多重放送のサービスを終了[6]。
2017年(平成29年)
8月 - 開局35周年を迎えるにあたり、開局以来初となる局マスコットキャラクターの制定を発表。白熊をモチーフとし「べあG'」と命名[7]。
9月 - エフエム北海道と道内22のコミュニティ放送局が参加する「日本コミュニティ放送協会(JCBA)北海道地区協議会」は、番組の相互放送や放送機材の共用などに関する包括連携協定を締結[8]。
2018年(平成30年)5月1日 - V-Low帯マルチメディア放送・インターネットラジオサービス「i-dio」にて北海道・東北地方でのサイマル放送・配信を開始(2020年(令和2年)3月31日に放送・配信を終了)。
2019年(令和元年) - 8月期の聴取率調査において、道内FM局として初めて全日聴取率で単独1位をHBCラジオから奪取した。[9](2020年(令和2年)の調査STVラジオが単独1位のため、連覇にはならず陥落した)