エド・ゲイン
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彼の犯行はおもに墓荒らしであり、彼が実際に殺したことが証明されているのはメアリー・ホーガンとバニース・ウォーデンの二人だけである[5]

1984年7月26日、ゲインは呼吸不全(Respiratory Failure)で亡くなった。プレイン・フィールド墓地内部にある自分の家族が眠るすぐ隣に、人目に付かない形で埋葬されている。
生い立ち

1906年8月27日ウィスコンスィン州ラ・クロス郡[3][1]にて、父ジョージ・フィリップ・ゲイン(George Philip Gein, 1873年 - 1940年[6])と、母アウグスタ・ヴィルヘルミーネ(Augusta Wilhelmine)の第2子として生まれた[7]。エドワードには、ヘンリー・ジョージ・ゲイン(Henry George Gein, 1901年 - 1944年)という兄が1人いた[8]。母・アウグスタは1877年7月21日、父フリードリッヒ・ヴィルヘルム・リアケ(Friedrich Wilhelm Lehrke)と母アマリエ・マチルデ・フレギン(Amalie Mathilde Fregin)の間に生まれ、1900年12月11日にジョージと結婚した[9]。ドイツ人は、19世紀にウィスコンスィン州に定住した最大の移民集団であり、ヨーロッパにおける政治、社会、宗教、経済の大変動を促進した[10]。アウグスタは、当時のプロイセン帝国からアメリカ大陸に移民としてやってきたフレデリックとアマリエの8人の子供の一人として生まれた[10]。アウグスタは、「鞭を惜しむのは、子供を甘やかすことと同義である」とする聖書に書かれた命令を真剣に受け止めていた厳格な父親のもとで育てられた[11]

夫となったジョージは、ドイツ人の移民を母に持つ人物であった。「旧ルーテル派」(Old Lutherans)とは、ルター派による教会改革に反対し、変化を拒否し、教義の面で保守的なキリスト教徒を指す。ルーテル教会においては、「人間のあらゆる思考と行為は罪業と邪悪な動機に汚染されており、ゆえに全人類は地獄に堕ち、そこで永遠に続く神罰を受けるに値するのだ」と教えていた[10]。アウグスタは、ジョージと結婚したのは間違いであったと思いつつも、厳格で狂信的な宗教観ゆえに離婚はせず、やがて全ての男性に対し、侮蔑の込もった目を向けるようになった[10]。アウグスタは女児が欲しかったが、1906年8月に生まれたのが男児であることを知ると、ほかの男性と同じようにはしない、と決心したという[10]。アウグスタは、どの仕事も長続きしないことに加えてアルコール依存症でもあった夫・ジョージを憎んでいた。ジョージは大工仕事、なめし革業、保険勧誘員といったさまざまな仕事に就いていた。ジョージは地元にある食料雑貨店の所有主であったが、のちに事業を売却し、ウィスコンスィン州プレイン・フィールドにある195エイカー(約79ヘクタール)の広さがある孤絶した農場に移住し[1]、ここが永住の地となった[12]。アウグスタは、この辺境の地に住んでいる点に付けこむ形で、息子たちに悪影響を与える可能性のある部外者・よそ者を遠ざけようとした[12][1]。ヘンリーとエドワードは、ロシュ=ア=クリ小学校(Roche-a-Cri Grade School)に入学するが、通学時を除いて、農場から離れることは無かった[10]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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