王妃はデンマーク国王クリスチャン9世の娘アレクサンドラ(愛称アリックス)。 1841年11月9日、ヴィクトリア女王とその王配アルバート公子の第2子(長男)として生まれる。同年12月4日にプリンス・オブ・ウェールズ(皇太子)の称号を得る。1842年1月25日に洗礼を受け、「アルバート・エドワード」と名付けられた。「バーティ」と愛称された(→生誕)。 幼少期・少年期は母と父の厳格な教育方針のもと家庭教育で育てられた。1852年にはベルギー、1855年にはフランスを訪問した。1859年1月から5月にかけてはイタリアに留学した(→幼年・少年期)。 同年10月にオックスフォード大学に入学(イギリス歴代国王で初めての大学入学)。在学中の1860年7月から11月まで英領カナダ
概要
1863年3月にデンマーク王女アレクサンドラ(愛称アリックス。デンマーク国王クリスチャン9世の娘)と結婚。1864年に妻の母国デンマークとプロイセン・オーストリアの間に第二次シュレースヴィヒ=ホルシュタイン戦争が勃発し、彼はデンマークを助けようと同戦争の仲裁のための国際会議ロンドン会議(英語版)開催を後援したが、同会議は失敗に終わり、結局デンマークはシュレースヴィヒとホルシュタインを失った。これをきっかけにバーティ夫妻は反プロイセン派になった(→結婚とデンマーク戦争)。
1866年11月、ロシア皇子アレクサンドル(後のアレクサンドル3世)とデンマーク王女マリー・ダウマー(愛称ミニー)の結婚式に出席するため訪露。