1904年9月17日、オロモウツに生まれる[3]。マックス・ラインハルトとともにアメリカ合衆国へ渡った彼は、ユニバーサル・スタジオにてセット・デザインを手がけたほか[3]、ドイツでは、F・W・ムルナウ監督の映画のプロダクション・デザインを手がけた[3]。
1930年、ロバート・シオドマクとの共同監督による『日曜日の人々』で映画監督デビュー[3]。1934年、ベラ・ルゴシとボリス・カーロフを主演に迎えたホラー映画『黒猫』がヒットする[3]。その後、カール・レムリの甥の妻だったシャーリー・カスラー・アレクサンダーとの交際により、メジャー・スタジオから排斥される[3][注 1]。「ジョン・ワーナー」名義で西部劇『Thunder Over Texas』を監督したのち、ニューヨーク州へ渡り、イディッシュ語の映画や公衆衛生のドキュメンタリーなどを監督する[3]。
1942年より、B級映画専門スタジオのプロデューサーズ・リリーシング・コーポレーションにて、数々の作品を手がける[3]。1944年、ジョン・キャラダイン主演のホラー・スリラー『青髯』を監督する[3]。1945年、トム・ニール主演のフィルム・ノワール『恐怖のまわり道』を監督する[3]。1964年の第二次世界大戦ドラマ『The Cavern』を最後に、監督業を引退する[3]。
1972年9月30日、カリフォルニア州にて死去[3]。
フィルモグラフィー
映画
日曜日の人々(1930年)
Damaged Lives(1933年)
黒猫(1934年)
Thunder Over Texas(1934年)
ハーレムにかかる月(1939年)
忘れられた罪の島(1943年)
鎖につながれた女たち(1943年)
青髭(1944年)
恐怖のまわり道(1945年)
奇妙な幻影(1945年)
奇妙な女(1946年)
カーネギー・ホール(1947年)
野望の果て(1948年)
地中海の虎(1949年)
スリの聖ベニー(1951年)
惑星Xから来た男(1951年)
裸の夜明け(1955年)
ハンニバル(1959年)
驚異の透明人間(1960年)
未来からの脱出(1960年)
アトランタイド(1961年)
The Cavern(1964年)
脚注
注釈^ 1934年頃、シャーリーと結婚した[2]。
出典^ O'Hehir, Andrew (2014年6月27日). “ ⇒Filmmakers - ‘Five Came Back,’ by Mark Harris, and More”. The New York Times. 2015年8月24日閲覧。
^ a b Bergan, Ronald (2000年9月4日). “Shirley Ulmer - Queen of B-movies, as screenplay writer and script girl
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