スロヴィクは危険な任務を忌避して脱走したとして起訴され、1944年11月11日に軍法会議にかけられた。この軍法会議で、検察官のジョン・グリーン大尉はスロヴィクが「逃げる」という意思を示した者を証人にたてた。これに対し弁護人のエドワード・ウッズ大尉は「スロヴィクが証言しない事を選んだ」と述べた。9人の士官からなる陪審はスロヴィクに有罪を言い渡し銃殺刑[注釈 2]が宣告された。判決は第28歩兵師団長ノーマン・コータ少将の承認を得られた。
1944年12月9日、スロヴィクは連合国軍最高司令官、ドワイト・D・アイゼンハワー大将へ減刑の嘆願書を送る。しかし脱走は当時重大な問題であり、アイゼンハワーは12月23日、嘆願を却下して死刑執行命令にサインした。銃殺刑は1945年1月31日の午前10時04分に、フランスのアルザスにある鉱山村、サント=マリ=オ=ミーヌ(Sainte-Marie-aux-Mines)で執行された。スロヴィクは24歳だった。
彼は現地の墓地に、殺人や強姦などの罪で処刑された他のアメリカ兵95人とともに埋葬された。彼らの遺体の上に置かれた石には名前がなく番号のみだったため、どれがスロヴィクの遺体か確かめる術はなかった。1987年、処刑から42年後、ロナルド・レーガン大統領の許可を得て、本人と確認されたスロヴィクの遺体はデトロイトに戻り、1979年に死んだ妻アントワネットの横に埋められた。それまで彼女や親族らは7代の大統領に嘆願書を送ってきたが、許可されなかったのである。
脚注[脚注の使い方]
注釈^ File:US28th_Infantry_Division.svg
^ 罪人として死ぬ絞首刑と異なり、軍人としての身分で死ぬ刑罰である
出典
外部リンク
⇒The Execution of Private Slovik by William Bradford Huie.
⇒Eddie Slovik at findagrave.com.
⇒The Sad Story of Private Eddie Slovik
The Execution of Private Slovik - IMDb(英語)
⇒The Execution of Pvt. Eddie Slovik from The Detroit News.
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