エディゲ
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しかし、トクタミシュの残した勢力との争いはその後も続き、1419年に至ってエディゲはトクタミシュの息子カーディル・ベルディによって殺害された[4]
後世への影響

エディゲの死後、その子孫はノガイ・オルダの支配者として長くこの地域に残り、また彼とその子孫が支持したティムール・クトルグとその子孫は15世紀から16世紀にかけて、ジョチ・ウルスの正統政権と目される大オルダや、アストラハン・ハン国のハンを輩出するなど、後世に大きな影響を残した。

また、エディゲの後裔はタタールの諸勢力の中でも特にモスクワ大公国と接する機会が多く、イスラム教から正教に改宗してロシアに同化したものも多く現われたが、アミールの血筋であるエディゲの後裔はロシアにおいてクニャージ)として処遇された。20世紀まで続いたロシア貴族の名門であるウルソフ公爵家、ユスポフ公爵家(英語版)は、それぞれオロス(ウルス)、ユースフ(ユスプ)という名のエディゲの後裔を始祖とする家系である。

エディゲはまた、中央ユーラシアのテュルク系諸民族に伝わる英雄叙事詩「エディゲイ」の主人公でもある。「エディゲ」の物語はノガイ・オルダの解体によって西シベリアからクリミア半島にかけて、広い地域に拡散することになり、エディゲの名はカザフ人バシキール人カラカルパク人カザン・タタール人クリミア・タタール人などの多くの民族に英雄として記憶されている。
脚注^ 坂井2007,34-37頁
^ 坂井2007,37-39頁
^ 坂井2007,39-41頁
^ 坂井2007,42-44頁

参考文献

坂井弘紀
『中央アジアの英雄叙事詩 語り伝わる歴史』(ユーラシア・ブックレット No.35)、東洋書店、2002年。

坂井弘紀「ノガイ・オルダの創始者エディゲの生涯」『和光大学表現学部紀要』第8号、2007年

関連項目

ジョチ・ウルス

ノガイ・オルダ

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