エッフェル塔
[Wikipedia|▼Menu]
□記事を途中から表示しています
[最初から表示]

世界一高い建築物 (1889から1930まで)[I]
概要
用途展望塔
電波塔
所在地 フランスパリ7区
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯48度51分29.6秒 東経2度17分40.2秒 / 北緯48.858222度 東経2.294500度 / 48.858222; 2.294500座標: 北緯48度51分29.6秒 東経2度17分40.2秒 / 北緯48.858222度 東経2.294500度 / 48.858222; 2.294500
着工1887年1月28日
完成1889年3月15日
開業1889年3月31日 (135年前)
所有者 フランスパリ (100%)
管理運営Societe d'exploitation de la tour Eiffel (SETE)
高さ
構造300 m (984 ft)[1]
先端330 m (1,083 ft)[1]
最上階276 m (906 ft)[1]
技術的詳細
階数3[2]
エレベーター数8[2]
設計・建設
建築家ステファン・ソーヴェストル
構造技術者モーリス・ケクラン
エミール・ヌーギエ
主要建設者エッフェル社[3]
ウェブサイト
エッフェル塔公式サイト
脚注
I. .mw-parser-output .citation{word-wrap:break-word}.mw-parser-output .citation:target{background-color:rgba(0,127,255,0.133)}^Eiffel Tower - Emporis (英語)
テンプレートを表示
エッフェル塔

エッフェル塔(エッフェルとう、: La tour Eiffel、: Eiffel Tower)は、フランス首都パリの象徴的な名所となっているである。パリ7区シャン・ド・マルス公園の北西に位置する。パリ万国博覧会に際して建設され[4]、名称は設計および建設者であるギュスターヴ・エッフェルに由来する。
歴史
高層建築ブーム

19世紀後半、建築技術の進歩や新素材の開発、産業革命による工業力の増加や総体としての富の増大によって、先進各国において相次いで高層建築が建設され、国家の威信をかけて高さ競争が繰り広げられていた。1647年から200年以上にわたって世界で最も高い建築物は同じフランスのストラスブールにあるストラスブール大聖堂(高さ142m)であったが、1874年にはドイツ帝国ハンブルクに建てられた聖ニコライ教会が147mとなって取って代わり、それ以降、この地位は数年ごとに交代を繰り返すようになった。1876年にはフランス・ルーアンルーアン大聖堂が151m、1880年にはドイツ帝国ケルンケルン大聖堂が完成して157mとなった。ここまでの高さ競争は全てキリスト教会の尖塔であったが、1884年にはアメリカ合衆国ワシントンD.C.に高さ169mのワシントン記念塔が完成し、これが世界で最も高い建造物となっていた。しかしいずれの建造物も高さは140mから160m台にすぎなかった。
コンペティション開催

1889年フランス革命100周年を記念してパリで第4回万国博覧会が開催されることが1884年に決定したものの、当初はそれほど目玉となるプランがあるわけではなかった。そうしたなか、橋梁建設、特に鉄橋において高い評価を得ていた建設会社エッフェル社の技師であるモーリス・ケクランとエミール・ヌーギエは1884年5月に、高さ300mの鉄の塔を建てて万博のシンボルとする案を立てた。この案に同じく社員であるステファン・ソーヴェストルが修正を加え、現在みられるエッフェル塔とほぼ同じ計画案を作成した。この案は社長であるギュスターヴ・エッフェルの賛同と強力な支援を受け、各方面に売り込みが行われた[5]。先行する160m級建築物群を大きく超える高さとなるが、基礎となる技術は、エッフェルが手掛けたポルトガルマリア・ピア橋(1877年完成)、フランス国内のガラビ高架橋(1884年完成)、アメリカ合衆国ニューヨーク市の「自由の女神像」(1886年完成)を内部で支える鉄製支柱で実証されていた[4]

1886年、万博の目玉となる大建造物を選定するためのコンペティションが開かれると、エッフェルはソーヴェストルおよびケクランと連名で計画案を提出した。1886年6月3日、コンペティション最優秀作品として委員会が選んだのは3案あり、フェルディナン・デュテルとジャン・カミーユ・ルミジュの作品(美術館など)と、エッフェル、ソーヴェストル、ケクランらの設計図であった。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:85 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef