エチオピア
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11月14日[72]ラマダンの終わりEid-al-Fitr

スポーツ詳細は「エチオピアのスポーツ(英語版)」を参照
サッカー詳細は「エチオピアのサッカー(英語版)」を参照

エチオピアでも他のアフリカ諸国同様にサッカーが最も人気のスポーツであり、1944年にサッカーリーグのエチオピアン・プレミアリーグが創設されている。エチオピアサッカー連盟(英語版)によって構成されるサッカーエチオピア代表は、これまでFIFAワールドカップには未出場である。しかしアフリカネイションズカップには11度出場しており、自国開催となった1962年大会では初優勝に輝いている。
オリンピック詳細は「オリンピックのエチオピア選手団」を参照

エチオピア国内で最も人気のあるスポーツサッカーであるが、エチオピアが最も強いスポーツは陸上競技、特にマラソンなどの長距離走である。2022年現在、オリンピックでは通算金メダル23個・銀メダル12個・銅メダル23個を獲得しているが、これは全て陸上競技によって獲得したものである。
陸上競技

エチオピアは人口稠密区域が標高2,000メートル以上の高原であり、首都アディスアベバも標高2,400メートルの地点にある。そのため心肺機能が鍛えられ、これが長距離走にとって有利であると考えられている。また、同国ではこれまでアベベ・ビキラを筆頭に、デラルツ・ツルファツマ・ロバマモ・ウォルデメセレト・デファーハイレ・ゲブレセラシェケネニサ・ベケレシレシ・シヒネタリク・ベケレなど、多数の陸上の名選手を輩出してきた。
著名な出身者詳細は「Category:エチオピアの人物」および「エチオピア人の一覧(英語版)」を参照

テドロス・アダノム - 世界保健機関(WHO)事務局長

ティムニット・ゲブル - 人工知能研究者

アベベ・ビキラ - 陸上競技選手

デラルツ・ツル - 陸上競技選手

ファツマ・ロバ - 陸上競技選手

エルバン・アベイレゲッセ - 陸上競技選手

マモ・ウォルデ - 陸上競技選手

メセレト・デファー - 陸上競技選手

ハイレ・ゲブレセラシェ - 陸上競技選手

ケネニサ・ベケレ - 陸上競技選手

シレシ・シヒネ - 陸上競技選手

タリク・ベケレ - 陸上競技選手

シメリス・ベケレ(英語版) - サッカー選手

ゲタネー・ケベデ(英語版) - サッカー選手

脚注[脚注の使い方]
注釈^ アガウ族(英語版)という説もある。

出典^ a b “ETHIOPIA TO ADD 4 MORE OFFICIAL LANGUAGES TO FOSTER UNITY”. Ventures Africa (2020年3月4日). 2022年2月1日閲覧。
^ a b c d e エチオピア連邦民主共和国(Federal Democratic Republic of Ethiopia)基礎データ 日本国外務省(2021年11月7日閲覧)
^ World Bank (2021年11月7日). “The World Factbook”. CIA. 2021年11月7日閲覧。
^ “Ethiopia” (英語). ザ・ワールド・ファクトブック. 2022年8月26日閲覧。
^ a b c d e “World Economic Outlook Database” (英語). IMF. 2021年10月17日閲覧。
^ “概況・基本統計 。エチオピア - アフリカ - 国・地域別に見る - ジェトロ”. www.jetro.go.jp. 2022年2月21日閲覧。
^ CIA (2015年). “The World Factbook”. CIA. 2014年9月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年3月23日閲覧。
^ CIA (2021年11月16日). “The World Factbook”. CIA. 2021年11月25日閲覧。
^ admin (2009年10月26日). “ ⇒エチオピア文化の魅力について”. 駐日エチオピア大使館|EMBASSY OF THE FEDERAL DEMOCRATIC REPUBLIC OF ETHIOPIA,TOKYO,JAPAN. 2022年5月16日閲覧。
^ “エチオピア連邦民主共和国|東京都立図書館”. 東京都立図書館. 2022年2月21日閲覧。
^ 橘玲 (2019年10月4日). “エチオピアは、ユダヤ教と原始キリスト教、7世紀からはイスラーム、そして今はプロテスタントが共存するまれにみる「宗教多様性」の国”. ZAI ONLINE. https://diamond.jp/articles/-/216668 2019年12月22日閲覧。 
^ 古川哲史「結びつく二つの「帝国」――大正期から昭和初期にかけて」『エチオピアを知るための50章』(岡倉登志編著、明石書店〈エリア・スタディーズ68〉、2007年12月25日、初版第1刷)299-306頁
^ 岡倉登志『エチオピアの歴史』(明石書店、1999年10月20日、初版第一刷発行)207-219頁
^ 岡倉登志『エチオピアの歴史』(明石書店、1999年10月20日、初版第一刷発行)219-229頁
^ 岡倉登志『エチオピアの歴史』(明石書店、1999年10月20日、初版第一刷発行)231-239頁
^ 英軍、アジスアベバに到着(『朝日新聞』昭和16年4月8日)『昭和ニュース辞典第7巻 昭和14年-昭和16年』p389 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年
^ 岡倉登志『エチオピアの歴史』(明石書店、1999年10月20日、初版第一刷発行)239-240頁
^ 片山正人『現代アフリカ・クーデター全史』(叢文社 2005年 ISBN 4-7947-0523-9)pp.89-93
^ 「革命三年目のエチオピア 苦境の軍事政権 反政府運動封じに躍起」『朝日新聞』朝刊1976年(昭和51年)9月22日13版7面
^ Ethiopia PM Abiy Ahmed wants to resolve Eritrea disputes BBC News
^ 「エチオピア、アビー首相就任」『毎日新聞


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