エチオピア
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婚姻してもほとんどの女性は改姓しない(夫婦別姓[65]
教育詳細は「エチオピアの教育(英語版)」を参照

各言語を尊重するために、1年次?8年次にあたる初等部では一部を除くと、他のサブサハラアフリカ諸国に見られるような欧州の言語ではなく各民族語で教育が行われる。9年次?12年次の中等部・高等部や大学などでは英語が教授言語となっている。多くの国民は、初等部のみで教育を終え、中等部以降の教育を受ける国民は非常に少なくなっている。アムハラ語という全土で通用する共通語があるにも関わらず、高等教育での教授言語の英語使用は教師、生徒共に低い英語レベルや英語が苦手な非エリート層の進学率を阻害するなどの弊害を生んでいる。著名な大学にはアディスアベバ大学がある。

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保健詳細は「エチオピアの保健(英語版)」を参照

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医療詳細は「エチオピアの医療(英語版)」を参照

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治安詳細は「エチオピアにおける犯罪(英語版)」を参照

エチオピアでは近年、政治改革の機運が高まっていることが確認されているが、その一方で首都アディスアベバにおいては、物価上昇による生活苦や仕事に就けない若い世代の増加を背景として、犯罪の発生件数が毎年高い数値で推移していることが問題となっている。

特に強盗目的の侵入をはじめ、スリ車上狙いなどの窃盗は、外国人や富裕層だけではなく、ごく一般的なエチオピア人も被害に遭っていることが報告されている。

また、政治的要因による暴動や爆発事件なども発生しており、更には近年の交通量の増加に伴う形で交通事故発生件数も増加傾向にある。

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人権詳細は「エチオピアにおける人権(英語版)」を参照

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マスコミ詳細は「エチオピアのメディア(英語版)」を参照

内戦の終結以来、民間企業の新聞雑誌が国内に登場し始めている。メディア市場のこのセクターは政府による厳しい規制や同国経済の浮き沈みにも拘らず、現在も成長を続けている。

また、エチオピアでは教育番組が独立した状態になっており、番組自体は同国教育省により制作および放送がされている。

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インターネット詳細は「エチオピアのインターネット(英語版)」を参照
文化詳細は「エチオピアの文化(英語版)」を参照

エチオピアは、グレゴリオ暦とは異なる独自のエチオピア暦を使用している。エチオピアの1月1日は、グレゴリオ暦の9月11日に当たる。下の祝祭日表の年月日はグレゴリオ暦である。またグレゴリオ暦からは約7年遅れであるが(エチオピアの2000年1月1日は、グレゴリオ暦の2007年9月11日)、その理由はイエス・キリストの誕生年についての見解が違うためであると言われている[66]
食文化詳細は「エチオピア料理」を参照

エチオピアの主流の文化であるアムハラ文化において、主食はテフなどの穀粉を水で溶いて発酵させ大きなクレープ状に焼いたインジェラである。代表的な料理としてはワット、クックル(エチオピア風スープ)、トゥプス(焼肉・炒め肉・干し肉)などがある。辛い料理が多い。エチオピア正教の戒律によりツォムと呼ばれる断食の習慣があり、水曜日と金曜日を断食の日とし、午前中は全ての食事を、午後は動物性タンパク質を取らない。四旬節(2月?4月)のツォムは2ヶ月の長期に亘り、復活祭により断食明けとなる。同様に戒律を理由として、ユダヤ教やイスラーム教のように、豚肉を食べることは固く禁じられている。これらの文化は基本的にアムハラ人の文化であるが、アムハラ人がエチオピアの実権を握ってきた期間が長かったため、国内の他民族にも普及している。

これに対し、南部においては、エンセーテといわれるバナナの一種からとれるデンプンを主食とする文化がある。エンセーテは実ではなく、葉柄基部と根茎に蓄えられたデンプンを主に食用とするもので、取り出した後に数週間発酵させたのちパンにして食べる[67]。エンセーテはエチオピア南部を中心に2,000万人の主食となっているとされるが、近年はテフなどに押されて栽培は減少傾向にある。

エチオピアはコーヒーの原産地と言われており[66][68]、コーヒーは広く常飲されている。また、複数の人でコーヒーを楽しむ「ブンナ(コーヒー)・セレモニー」という習慣がある[69]

アルコール飲料としては、ビールワインが生産されているほか、地酒としてタッジ(蜂蜜酒)、テラやトウモロコシが原料のビールに似た飲料)、アラキ蒸留酒)がある。また嗜好品として、チャットの葉を噛む習慣がある。

インジェラとワット

インジェラとトゥプス

タッジとトゥプス

ブンナ・セレモニー

文学詳細は「エチオピア文学(英語版)」を参照

現代の著名な作家としては、『扇動者たち』(1979年)のサーハレ・セラシェの名が挙げられる。

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音楽詳細は「エチオピアの音楽(英語版)」を参照

国教のキリスト教に関連した音楽が発達しているが、同時に古くから民間に伝承されてきた民謡とのかかわりも深い。アズマリはアムハラ人によるミュージシャンのことで、冠婚葬祭や宴会の余興、教会の儀式などに用いられている。山羊の皮を張った胴と馬の尾の弦から作られた弦楽器マシンコの伴奏で歌われる。もう一つのラリベロッチは門付の芸人を指す。彼らは朝早く家々の玄関で祝福の内容を歌い、金や食料をもらう。いずれも独自の歴史と習慣をもった音楽家集団で、エチオピアの音楽を支えている。

ポピュラー音楽に於いては、日本の演歌によく似た、こぶしの効いた音楽様式が存在する。メンギスツ政権期にはアステレ・アウェケ、ティラフ・ゲセセ、ビズネシュ・ベケレ、ヒイルート・ベケレ、アレマイヨ・エシャテなどが活動していた[70]

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映画詳細は「エチオピアの映画(英語版)」を参照

エチオピアの映画産業は成長を見せている面があるものの、映画の普及においては多くの問題に直面している点が目立つ[71]

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世界遺産詳細は「エチオピアの世界遺産」を参照

エチオピア国内には、ユネスコ世界遺産リストに登録された文化遺産が8件、自然遺産が1件存在する。

シミエン国立公園 - (1978年、自然遺産)

ラリベラの岩窟教会群ザグウェ朝)- (1978年、文化遺産)

ゴンダール地域のファジル・ゲビ - (1979年、文化遺産)

アワッシュ川下流域 - (1980年、文化遺産)

ティヤ - (1980年、文化遺産)

アクスム- (1980年、文化遺産)

オモ川下流域 - (1980年、文化遺産)


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