エチオピア
[Wikipedia|▼Menu]
□記事を途中から表示しています
[最初から表示]

[63]また、「ベタ・イスラエル」と呼ばれるユダヤ人が存在するが、その大多数はイスラエルの「帰還法」に基づき、1980年代から1990年代にかけてイスラエルへと移住した。

かつてエチオピア帝国を建国したのはアムハラ人であり、以後もアムハラ人がエチオピアの政府の中枢を握ってきたが、1991年メンギスツ・ハイレ・マリアム軍事政権の崩壊によって政権はメンギスツ政権を打倒したエチオピア人民革命民主戦線の中核をなすティグレ人の手に渡った。とはいえ公用語アムハラ語であり、アムハラ文化は他民族にも現在でも影響を与えている。

また、新政権は民族ごとに州を新設し、各民族語による教育を認めたため、最大民族であるオロモ人の勢いが強くなっている。ソマリ人と家畜の牛の群れ
言語詳細は「エチオピアの言語(英語版)」を参照

言語(エチオピア 2007年国勢調査)

オロモ語  33.8%
アムハラ語  29.3%
ソマリ語  6.25%
ティグリニャ語  5.86%
シダモ語  4.04%
ウォライタ語  4.04%
グラゲ  2.01%
アファル語  1.74%
ハディヤ語  1.69%
ガモ・ゴファ・ダウロ語  1.45%
その他  11.62%

エチオピアの言語アフロ・アジア語族セム語派オモ語派クシ語派)が主であるが、ナイル・サハラ語族も話されている。憲法では全ての言語が平等という観点から公用語を定めていないが、連邦政府の作業言語はアムハラ語と定められている[64]。2020年3月にはアファル語オロモ語ソマリ語ティグリニャ語の4言語が作業言語に追加され、事実上の公用語は5つとなっている[1]。また州は独自の公用語を定める権限を持っており、アムハラ語、オロモ語、ソマリ語、ティグリニャ語、アファル語が各州の公用語となっている他にシダモ語ウォライタ語、グラゲ諸語(英語版)、ハディヤ語、ガモ・ゴファ・ダウロ語(英語版)などが使われている。独自文章語としてゲエズ語も存在する。

エチオピアではエチオピアから独立したエリトリア、隣国のソマリアと共にブラックアフリカでは唯一、非欧米系の自国語が共通語、政府の作業言語として機能している国である。アムハラ語は全土で通用する。これは、植民地支配(イタリアに支配された5年間を除く)を受けていないこととアムハラ語による統制が長年にわたって進められたためである。ただ、翻訳作業の手間がかかるなど、アムハラ語による高度な教育整備が進んでいないことから、高等教育では外国で作成された英語のテキストの使用が必須となっており、その関係で中等教育(9年生?)以上では英語が教育言語となっている。しかし、9年生以上(中学3年・高校や大学)へ進学できるのはエリート層や都市部の一部住民に限定されるため、農村部や地方では英語はほとんど通じず、他のブラックアフリカ諸国に見られるような欧米系の言語支配を受けていないことが分かる。
宗教詳細は「エチオピアの宗教(英語版)」を参照

宗教(エチオピア 2007年国勢調査)

キリスト教  62.8%
イスラーム  33.9%
アニミズム  2.6%
その他  0.6%

2007年の国勢調査では、キリスト教徒が62.8%と最も多く、続いてムスリムが33.9%、アニミズム信者が2.6%である。キリスト教では大多数がエチオピア正教会の信徒だが、資料によっては、ムスリムの方が、エチオピア正教会の信徒よりも多いとするものもある。また、ユダヤ教を信仰する人々(ベタ・イスラエル)もいるが、多くがイスラエルに移住した。

帝政時代はエチオピア正教を国教としていたが、連邦憲法11条は政教分離を定め、国教を禁じている。なお、帝政時代にも、皇族でありながらイスラムを信仰したイヤス5世のような例もあり、必ずしも国民全てがキリスト教徒というわけではなかった。
婚姻

婚姻してもほとんどの女性は改姓しない(夫婦別姓[65]
教育詳細は「エチオピアの教育(英語版)」を参照

各言語を尊重するために、1年次?8年次にあたる初等部では一部を除くと、他のサブサハラアフリカ諸国に見られるような欧州の言語ではなく各民族語で教育が行われる。9年次?12年次の中等部・高等部や大学などでは英語が教授言語となっている。多くの国民は、初等部のみで教育を終え、中等部以降の教育を受ける国民は非常に少なくなっている。アムハラ語という全土で通用する共通語があるにも関わらず、高等教育での教授言語の英語使用は教師、生徒共に低い英語レベルや英語が苦手な非エリート層の進学率を阻害するなどの弊害を生んでいる。著名な大学にはアディスアベバ大学がある。

この節の加筆が望まれています。

保健詳細は「エチオピアの保健(英語版)」を参照

この節の加筆が望まれています。

医療詳細は「エチオピアの医療(英語版)」を参照

この節の加筆が望まれています。

治安詳細は「エチオピアにおける犯罪(英語版)」を参照

エチオピアでは近年、政治改革の機運が高まっていることが確認されているが、その一方で首都アディスアベバにおいては、物価上昇による生活苦や仕事に就けない若い世代の増加を背景として、犯罪の発生件数が毎年高い数値で推移していることが問題となっている。

特に強盗目的の侵入をはじめ、スリ車上狙いなどの窃盗は、外国人や富裕層だけではなく、ごく一般的なエチオピア人も被害に遭っていることが報告されている。

また、政治的要因による暴動や爆発事件なども発生しており、更には近年の交通量の増加に伴う形で交通事故発生件数も増加傾向にある。

この節の加筆が望まれています。

人権詳細は「エチオピアにおける人権(英語版)」を参照

この節の加筆が望まれています。

マスコミ詳細は「エチオピアのメディア(英語版)」を参照

内戦の終結以来、民間企業の新聞雑誌が国内に登場し始めている。メディア市場のこのセクターは政府による厳しい規制や同国経済の浮き沈みにも拘らず、現在も成長を続けている。

また、エチオピアでは教育番組が独立した状態になっており、番組自体は同国教育省により制作および放送がされている。

この節の加筆が望まれています。

インターネット詳細は「エチオピアのインターネット(英語版)」を参照
文化詳細は「エチオピアの文化(英語版)」を参照

エチオピアは、グレゴリオ暦とは異なる独自のエチオピア暦を使用している。エチオピアの1月1日は、グレゴリオ暦の9月11日に当たる。下の祝祭日表の年月日はグレゴリオ暦である。またグレゴリオ暦からは約7年遅れであるが(エチオピアの2000年1月1日は、グレゴリオ暦の2007年9月11日)、その理由はイエス・キリストの誕生年についての見解が違うためであると言われている[66]
食文化詳細は「エチオピア料理」を参照

エチオピアの主流の文化であるアムハラ文化において、主食はテフなどの穀粉を水で溶いて発酵させ大きなクレープ状に焼いたインジェラである。代表的な料理としてはワット、クックル(エチオピア風スープ)、トゥプス(焼肉・炒め肉・干し肉)などがある。辛い料理が多い。エチオピア正教の戒律によりツォムと呼ばれる断食の習慣があり、水曜日と金曜日を断食の日とし、午前中は全ての食事を、午後は動物性タンパク質を取らない。四旬節(2月?4月)のツォムは2ヶ月の長期に亘り、復活祭により断食明けとなる。同様に戒律を理由として、ユダヤ教やイスラーム教のように、豚肉を食べることは固く禁じられている。これらの文化は基本的にアムハラ人の文化であるが、アムハラ人がエチオピアの実権を握ってきた期間が長かったため、国内の他民族にも普及している。

これに対し、南部においては、エンセーテといわれるバナナの一種からとれるデンプンを主食とする文化がある。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:161 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef