エゼルウルフ
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^ 聖ベルタンの年代記によれば、シャルルマーニュは「アングロ=サクソンの王が旅で必要とした食糧その他をすべて提供し、道案内と従者まで用意した」とされる。これについて、ODNB, Athelwulf. ではAnnals of St Bertin, s.a. 855. を参照している。
^ ODNB, Athelwulf. 同様にR. Davis, ed. and trans., The lives of the ninth-century popes (Liber pontificalis): the ancient biographies of ten popes from AD 817?891 (1995).を参照している。
^ Nelsonは、聖別を受けさせるという着想が、787年にマーシアのオファが息子エグフリスに王として聖別を受けさせたことからきている可能性がある、と指摘する。ODNB, Athelwulf.
^ Yorke, p95.
^ a b c ODNB, Athelwulf.
^ Asser, Part 1.
^ 9世紀の史家Asserは「王国の西側のほうが、東側よりも重要度が高いのは明らか」として、和議が穏便に済まず、エゼルバルド主導だったと主張した。Nelsonはこれを受けて「協定は新たに入手した土地から東側という理解がなされてきたが、おそらくAsserはウェセックス本国を東西に分けたと考えているふしがある。もしそうであるならば、アングロサクソン年代記の18年半、すなわち858年までエゼルウルフがウェセックスを支配していたという記述と矛盾する。アングロサクソン年代記の信憑性を措いても、Asserが反乱の筋書きを見いだした根拠は、いささか苦しいといわざるをえない」と主張する。ODNB, Athelwulf.
^ Asser, Life of Alfred, chap. 12
^ フランクの分割相続にならったもので、これが歴史家たちから時代に逆行しているといわれる点である。ODNB, Athelwulf.
^ Asser, Life of Alfred, chapter. 17.
^ ベーダ・ヴェネラビリスの遺した記録による。ODNB, Athelwulf.
典拠
青山吉信編「世界歴史大系 イギリス史 1」山川出版社、1991年。ISBN 4634460106
Asser [Bishop of Sherborne], ⇒THE LIFE OF KING ALFRED, London, 1847, electronic edition by Douglas B. Killings, 1997.
Nelson, Janet L. ‘ ⇒Athelwulf (d. 858)’, Oxford Dictionary of National Biography, Oxford University Press, 2004. accessed 10 April 2007.
Walker, Ian W. MERCIA: and the Making of England, Sutton Publishing, Stroud (Gloucestershire), 2000. ISBN 0750921315
Yorke, Barbara. Wessex in the Early Middle Ages, Leicester University Press, 1995. ISBN 071851856X
⇒Anglo Saxon Chronicle(アングロサクソン年代記, ASC), Project Gutenberg.
略年表
795年? - 前王エグバートの子として誕生
820年頃 - ヴァイキングの襲来が盛んに
838年 - 大会議で王位継承者に指名される
839年 - 前王エグバート、ローマ巡礼の途上に死亡。国王即位。このころまでにオズブルガと結婚
840年代 - 重臣フェリックスに関する記述
849年 - アルフレッド誕生
850年 - サンドウィッチの海戦でヴァイキングを破る
855年 - アルフレッドと巡礼に出発。本国でクーデター発生
856年 - ユーディスと結婚
858年 - 死亡
先代
エグバートウェセックス王
839 - 858次代
エゼルバルト
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