民族主義は、特定民族による国家の形成・純化・拡大を主張し、対外的に自民族との差異と「優越性を主張」することがある。大国では、ロシアのように近隣諸国の自民族居住地域などの併合、少数民族にあっては分離独立や他民族の追放などを主張し、しばしば戦争や紛争が生じる。自民族居住地域が近隣にない場合も、領土を併合する前後において、被支配民族との近縁性・一体性を主張した[注 1]。 ナショナリズムの語義は多岐にわたるが、ナショナリズムの分類方法として、エスニックナショナリズム(英: ethnic nationalism)とシビックナショナリズム(英: civic nationalism)に類型化する方法があり、前者が民族主義に概ね該当する[5]。エスニックナショナリズムはnationを出自や血統により決定されるものとするが、シビックナショナリズム(Civic nationalism
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各国の民族主義
日本「国粋主義」も参照
日本においては、民族主義は江戸時代末期に水戸学・国学の影響を受けた尊王攘夷運動として現れ、明治維新の原動力となった。しかし近代の日本においては、民族主義と国家主義との違いが意識されることは少なかった。日本の民族主義とアジア諸民族の民族主義との連携を模索するアジア主義のような動きはあったものの、帝国主義の時代にあって日本の民族主義は国家主義に吸収されていくこととなる。日清戦争・日露戦争後の大日本帝国は、朝鮮・台湾などを領土に加えて多民族帝国を志向し、日本の国家主義は「八紘一宇」を掲げる大東亜共栄圏建設を目指した大東亜戦争(太平洋戦争)でピークに達した。
大東亜戦争の敗戦後は、その反省から戦前的な(右派的・国家主義的な)民族主義への抵抗感が強まった一方、反米を掲げる左派的な民族主義が高揚することとなった。左派的な立場からの民族主義は沖縄返還の原動力となったほか[6]、列強からの自立を目指すアジア・アフリカの民族主義には情緒的な共感が寄せられ、ベトナム戦争反対などの反戦運動とも結びつくと同時に、共産主義と結びつく勢力の介入により、国家と民族の分離に利用される一面も持っていた[6]。
1960年代には、左翼系学生運動に対する対抗として民族派学生組織の運動が活性化する。参加者達は親米・反共に傾き民族主義をないがしろにした戦後右翼団体への反発から民族主義への回帰を指向し、新右翼(民族派)の源流ともなった。
元首相麻生太郎は日本を「一つの民族」国家と呼んだ[7]。
政党/政治団体
アジア
維新政党・新風 - 日本・日本人[注 2]
アイヌ民族党 - 日本・アイヌ人[注 2]
日本第一党 - 日本・日本人[注 2]
バアス党 - アラブ人
タール - イスラエル・アラブ人
イスラエル我が家 - イスラエル・ユダヤ人
クルディスタン労働者党 - クルド人
民族主義者行動党 - トルコ・トルコ人
統一マレー国民組織 - マレーシア・マレー人
シヴ・セーナー -インド・アーリア人
ドラーヴィダ進歩党 - インド・ドラヴィダ人
ヨーロッパ
ロシア帝国運動 - ロシア・ロシア人