エスタジオ・ド・マラカナン
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携帯電話が普及したことでメディアにも使われなくなったものの暫くは電話会社の宣伝のため撤去されない状況が続いていた[3]が、2007年にリオデジャネイロでパンアメリカン競技大会を開催するために改修工事が行われた際に撤去された。

隣には体育館のマラカナンジーニョがあり、バレーボール格闘技などが行われる。

2014年にブラジルで64年ぶりに開催されたFIFAワールドカップ決勝戦も、前回同様このスタジアムで同年7月13日に行われた。

そのプレ大会である2013年サッカーコンフェデレーションズカップ(2013年6月)の会場としても利用されるため、改装工事を行った[4]

2016年8月に開催された第31回夏季オリンピックリオデジャネイロ大会の開会式/閉会式とサッカー競技も、エスタジオ・ド・マラカナンで挙行された。なお、サッカー専用競技場がメインスタジアムに使われたのは初の試みでもあった。

2016年8月20日にマラカナンでリオデジャネイロオリンピックの男子サッカーの決勝戦が開催され、自国開催のブラジルと2年前のワールドカップでブラジルに大勝したドイツの決勝カードとなった。27分にネイマールがフリーキックを決めたが、59分にドイツのマックス・マイヤーが追いつき1-1の同点に追い込んだ。その後は両チームとも一進一退の攻防で死闘を繰り広げ、PK戦にまでもつれ込み両チーム共に4人目まで成功させたが、5人目のドイツのニルス・ペーターゼンが失敗、ブラジルの最後のキッカーであるネイマールが成功させ、ブラジルがオリンピックサッカーとして初の金メダルを獲得した。なお、この出来事はマラカナンの悲劇になぞらえ「マラカナンの歓喜」とも呼ばれた。マラカナンはブラジルサッカーの聖地とも呼ばれているが、同時に鬼門でもあった。だが、この結果によりそれに終止符を打ったのだった。

2017年1月、競技場内部が荒廃している様子が報道された。これはスタジアムの管理について、オリンピック組織委員会とリオデジャネイロ州、民間企業との間で争いがあり、事実上管理がなされていないためであり、報道された時点では芝生が大部分枯れ上がっているほか、スタジアムの備品が多数盗難に遭った[5]

しかしその後は復旧が進み、リーグ戦やカップ戦で現在も使用中。コパ・アメリカ2019の決勝戦でも使用された。
サッカー以外
リオデジャネイロオリンピック

2016年8月、リオデジャネイロオリンピック開会式が開催された。夏のオリンピックの開会式が陸上競技場以外で開催されるのは1900年の第2回パリオリンピック以来で116年ぶり(29大会ぶり)2回目であった。この他、サッカー決勝及び閉会式が開催された。パラリンピックでも同じ様に開閉会式の式典会場として使用された。
格闘技エリオ・グレイシー(下)を寝技で圧倒する木村政彦(上)

1951年10月23日、日本からやってきた柔道史上最強を謳われる伝説の柔道家・木村政彦がプロ柔道家として3人でブラジル遠征してきた。その一行にグレイシー柔術の祖であるエリオ・グレイシーが挑戦、一行の1人である加藤幸夫が戦ったが1試合目は引き分け、2試合目でエリオの絞め技で失神負けという醜態をさらしてしまい、ブラジル日系人たちの間で大問題になった。

日系人が暴動を起こしそうな空気となったため木村がエリオの挑戦を受け、カフェ・フィーリオ副大統領などVIP多数が観戦するなか戦った。結果、木村が得意の大外刈りで投げ、最後は腕緘みでエリオの肘関節を骨折させて勝った。世界の格闘技史の中でも最も大きな事件である。グレイシー一族はこの敗戦を「マラカナンの屈辱」と呼ぶ。[要出典]

当時はブラジル国内にプロサッカーリーグがまだなく、最も人気の高いプロスポーツ興行は格闘技だったので、ブラジル人、日系人、双方が熱狂した。
その他の国際スポーツ大会

1980年と1983年にバレーボールのソ連戦が行われた[6]
コンサート

1980年1月に
フランク・シナトラデビュー30周年ライブで18万人を動員[7]


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