エイリアン_(映画)
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またランバートの最期のシーンにおいて、足の間をエイリアンの尾が上がっていくカットで写っているのは彼女ではなくブレットであり、身につけている服が違う[33][注 14]。これはブレットがエイリアンに殺されるシーンでカットされた部分を流用したため。
ジョーンズ
撮影には合計4匹の同じ品種の猫を用いた。抱き上げるたびにウィーバーは目の充血に悩まされ、一時は降板すら覚悟した。この原因は汗として使われたグリセリンと猫の毛が混合し、アレルギー反応が起きたためであった[44]。ブレットが襲われる直前にエイリアンを見て警戒するシーンは、板の後ろにシェパードを隠しておき、タイミングを見計らって板を取り払い猫に見せることで演技をさせていた[41]。リプリーがジョーンズを探すシーンで、スコットは「(仲間が脱出の準備に奔走しているのに)あのような危機的状況で猫を探すのか」という批判を覚悟していたが、予想に反しそういった声はほとんどなかったという[41]。「エイリアンがいる船内を自由に歩きまわる」、「ケージに入れられる際に鳴き声を上げる」、「エイリアンの目の前に放置される」など、エイリアンに寄生されているのではないかという疑念を抱かせる描写があったが、結果的には伏線として使われることはなかった[41]。ディレクターズ・カット版では、入ったケージをエイリアンに蹴飛ばされている。
撮影

撮影は1978年の7月5日から10月21日のおよそ3か月半に渡って行われた[18]。オバノンの薦めで『悪魔のいけにえ』(1974年)を見たスコットはこの作品を目安としてデザイナーに指示を与えた。また、もっとも感銘を受けたホラーとして『エクソシスト』(1973年)を挙げ、何度も見直し研究を重ねた[25]。ほか、『2001年宇宙の旅』にも影響を受けている。

スタジオはイギリス、ロンドンの郊外にあるシェパートン・スタジオが使用された。ハリウッドに比べ費用が安く済むこと、イギリスには優れた美術スタッフや、製作に必要なプラモデルメーカーがいることなどが理由であった[21]。撮影のためにスタジオ内のA、B、C、D、Hの5つのサウンド・ステージが使用され、ノストロモ号のセットはCに、遺棄船のセットはHに造られた。Hは当時ヨーロッパ最大級のサウンド・ステージであり、60m × 100mもの広さがあった[45]

スコット側からは、『デュエリスト/決闘者』に引き続きパウエルが共同プロデューサーとして、撮影にデレク・バンリント、プロダクション・デザイナーにマイケル・シーモアなどRSAに縁のある人物が参加した。

そのほか、編集にはテリー・ローリングス、『スター・ウォーズ』で美術監督を務めたレスリー・ディレイ、セットを製作したロジャー・クリスチャン、衣裳を担当したジョン・モロ、『キングコング』の造形に携わったカルロ・ランバルディ、特殊効果担当として『スペース1999』に参加していたブライアン・ジョンソンとニック・アルダーが加わった。またオバノンはコッブに加えて『デューン』で製作を共にしたフォスとギーガーらデザイナーを企画に呼び集めた。

撮影は徹底した秘密主義の下で行われ、いたるところに「見学者立ち入り禁止」の立て札、張り紙が掲示された[46]。予算圧縮のためフォックス上層部からの圧力に晒され続けたスコットは不安定な精神状態が続き、時には八つ当たりでセットを破壊してしまったこともあった[47]。また、多くのスタッフが当時の製作現場が緊張に満ちて不愉快だったと証言している[48]。後年スコットは「あの時の自分は余裕がなかった。撮影現場に緊張感をもたらした原因の一つは、自分の突き放した態度にもあっただろう」と当時を振り返っている[49]
美術

監督に着任したスコットにとって目下最大の懸念事項は、主役であるエイリアンのデザインであった。既にコッブがおこしたデザインが存在していたものの、その内容はと言えば、2本足で立ち、鉤爪のついた4本の腕があり、頭部からは触角と目が突き出るように生えているという奇妙な外見で、満足のいくものではなかった[50][51]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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