撮影は1978年の7月5日から10月21日のおよそ3か月半に渡って行われた[18]。オバノンの薦めで『悪魔のいけにえ』(1974年)を見たスコットはこの作品を目安としてデザイナーに指示を与えた。また、もっとも感銘を受けたホラーとして『エクソシスト』(1973年)を挙げ、何度も見直し研究を重ねた[25]。ほか、『2001年宇宙の旅』にも影響を受けている。
スタジオはイギリス、ロンドンの郊外にあるシェパートン・スタジオが使用された。ハリウッドに比べ費用が安く済むこと、イギリスには優れた美術スタッフや、製作に必要なプラモデルメーカーがいることなどが理由であった[21]。撮影のためにスタジオ内のA、B、C、D、Hの5つのサウンド・ステージが使用され、ノストロモ号のセットはCに、遺棄船のセットはHに造られた。Hは当時ヨーロッパ最大級のサウンド・ステージであり、60m × 100mもの広さがあった[45]。
スコット側からは、『デュエリスト/決闘者』に引き続きパウエルが共同プロデューサーとして、撮影にデレク・バンリント、プロダクション・デザイナーにマイケル・シーモアなどRSAに縁のある人物が参加した。
そのほか、編集にはテリー・ローリングス、『スター・ウォーズ』で美術監督を務めたレスリー・ディレイ
、セットを製作したロジャー・クリスチャン、衣裳を担当したジョン・モロ、『キングコング』の造形に携わったカルロ・ランバルディ、特殊効果担当として『スペース1999』に参加していたブライアン・ジョンソンとニック・アルダーが加わった。