エイリアン_(映画)
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大学のキャンパスで『メモリー』を読んだシャセットは「『メモリー』を完成させたら、自分がロジャー・コーマンの元に持ち込むので、自分の『追憶売ります』を翻案する作業の手助けをして欲しい」と共同作業を提案した[10][注 11]

この頃、『デューン/砂の惑星』を企画中であったアレハンドロ・ホドロフスキーから、オバノンに同作の特殊効果担当の依頼が舞い込む。彼は許諾し製作チームに加わった。これにより『メモリー』の脚本は一時に宙に浮くこととなる。チームには宇宙船のデザインにクリス・フォス、コスチュームデザインとしてジャン・ジロー、さらにシャッダム四世役に指名されていたサルバドール・ダリの推薦により、後にH・R・ギーガーが加わっていた。しかし、資金難から製作半ばにして中止となり、オバノンも無一文となってしまう。ショックから胃の病を発症した彼はシャセットの家に転がり込み、一週間もふさぎ込んでいたが、未完のままの『メモリー』を完成させるようシャセットに提案され、再び脚本を練り始めた[11][12]

オバノンは『メモリー』とは別に『グレムリン』という脚本を構想していた。それは「東京から帰るB-17の中にグレムリンが侵入し、乗組員を一人、また一人と殺していく。怪物を倒さない限り乗組員は故郷へ帰れない」という骨子であった。その要素を応用してはどうかというシャセットの助言を受け、オバノンは『メモリー』に適用させた。すなわち舞台を爆撃機から宇宙船へ、グレムリンを異星人の怪物に変更したのである[12]。完成したそれは宇宙空間における『テン・リトル・インディアンズ』と呼べる内容となった。この時点で脚本の基本的な流れは完成稿と同一であったが、乗組員が発見するのは遺棄船ではなく「ピラミッド」であることや、卵ではなく「胞子ポッド」から出てきた寄生体に襲われる、宇宙船の名前が「スナーク号」であるといった差異がある[13]。また、題名は『スタービースト』へと変更された[14]

『スタービースト』の内容はロジャー・コーマンの目を引いたが、企画が形になる前に、二人の友人であった独立系映画監督のマーク・ハガードが彼の脚本を評価し、出資者探しを買って出ることになった。オバノンは視覚的な側面からプレゼンテーションを行うために、『ダーク・スター』で知己であったロン・コッブにイラストを依頼する。コッブはこの時点ではまだ『スタービースト』を『ダーク・スター』のような低予算映画になるだろうと楽観視しており、何枚かのイラストを提供した[12]。商業的な映画に相応しいものとして、オバノンは思案をめぐらせ、『エイリアン』というタイトルをひねり出した[15]

1976年、ハガードはゴードン・キャロル(英語版)、デヴィッド・ガイラーウォルター・ヒルの3人によって設立された映画制作会社「ブランディワイン・プロダクションズ」と契約を成立させ、『エイリアン』の脚本は買い取られた。[16][12]ヒルは脚本の内容を酷評しながらも一部のシーンに可能性を見出し、他の二人と共に20世紀フォックスの製作主任であったアラン・ラッド・ジュニアにこの脚本を売り込む。スリラーに定評のあるヒルが売り込んだということでラッドは少しだけ興味を示したが、彼自身はこの映画が作られる見込みはほぼないと考えており、映画化決定の許可は下りなかった。[17]

しかし、1977年に同社配給の『スター・ウォーズ[注 12]や、コロンビア ピクチャーズの『未知との遭遇』が公開、大ヒットしたことで状況は一変した。SF映画は売れないB級という定説が覆され、一大ブームが到来した。そんな時、20世紀フォックスの手元にあった唯一のSF脚本が『エイリアン』であった。こうして同年10月31日[18]に、『エイリアン』の製作許可が降りた[17]
プリプロダクション

ヒルとガイラーがまず行ったのは脚本の手直しであった[12]


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