生前最後に発表された作品は、2010年11月に発売されたクインシー・ジョーンズのトリビュート・アルバム『Q: Soul Bossa Nostra』に収録の「It's My Party」であった。また、トニー・ベネットのアルバム『Duets II』にも参加し、ジャズのスタンダード・ナンバー「Body and Soul」をデュエットしている。
2015年、監督アシフ・カパディアによる長編ドキュメンタリー映画『AMY エイミー』が公開され、第88回アカデミー賞で長編ドキュメンタリー賞を受賞。
2024年5月、他界後、英国内での累計ストリーミング回数が10億回を達成し、「ブリット・ビリオン・アワード(英語版)」を受賞した[13]。 2007年10月18日にノルウェーにて、マリファナ所持と密輸疑惑で夫と共に逮捕された。その後二人は500ユーロの保釈金を払って釈放された[18]。12月17日には夫の司法妨害に加担した容疑で逮捕された[19]。 2008年4月25日、酔って男性2人を暴行したとして事情聴取を受ける[20]。5月7日に違法薬物所持の容疑で逮捕された[21]。 年タイトルアルバム詳細チャート最高位認定
私生活
2007年5月18日に、ミュージック・ビデオの撮影アシスタントである4歳年上のブレイク・フィールダー・シビル(Blake Fielder-Civil)とアメリカ合衆国フロリダ州マイアミで結婚するが、2009年8月に離婚した。シビルは薬物依存症であり、エイミーが薬物依存症になったのは、この夫の影響が大きいとされ、2007年8月には夫婦で薬物・アルコール依存症の治療施設に入所している。シビルは、結婚後間もない2007年6月にロンドンのパブの店主を殴り、しかもその後訴えを取り下げるよう迫るなどしたことから逮捕・勾留され、実際の夫婦生活は極めて短かった。逮捕勾留中に女囚と浮名を流すなど女性関係もルーズで、2009年1月にはエイミーの不倫を理由に離婚を迫るなどしていた。一方でエイミー自身はシビルを理解者と受けとめ、逮捕勾留中も夫に会いたいと泣き叫び、ドラッグに溺れるなどしていたとされる。離婚にも消極的であったとされ、離婚のため薬物依存が酷くなったとする見解もある。2009年12月にはシビルと再度婚約し、嬉しそうに指輪を見せびらかすなどして周囲を驚かせるが、数か月後に再度解消。2011年4月にはシビルとサラ・アスピンなる31歳の女性との婚約が発表された。サラは同年6月に第1子を出産。タブロイド紙にはサラによる「エイミーにはシビルから手を引いてもらいたい」「メールの署名に「your wife」とかうんざり」という談話が掲載されていた[14]。
2008年6月24日、16日にロンドンの自宅で倒れて入院し、検査を受けていたエイミーの病状を「初期の肺気腫」であると父親のミッチが告白、肺が7割程度しか機能していない状態となった[15]。同日、エイミーの代理人トレイシー・ミラーが「肺気腫になる恐れがある症状だと診断された」と弁明。一時混乱を招いた[16]。
彼女の個性的な髪型は、1960年代に流行したビーハイブヘア。レディーガガはエイミーのヘアスタイルを気に入っていたが、エイミーに敬意を払い、ブルネットを金髪に染めあげて、デビュー当時はビーハイブヘアにしていた。
異性愛者ながら左上腕部に上半身裸の女性、右上腕部には女性の全身の刺青を入れていた。通常は女性が女性の裸の刺青を入れることは、同性愛のアピールとされている。
いわゆる27クラブを強く意識しており、死の3年前にはその年齢で死ぬことへの恐れを表明していた[17]。そしてその恐れの通り、3年後に27歳で死去した。
スキャンダル
逮捕等
ディスコグラフィ
アルバム
UK
[22]AUS
[23]AUT
[24]FRA
[25]GER
[26]IRE
[27]NLD
[28]NZ
[29]SWI
[30]US
[31]