エイジア
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1982年3月8日、ディーンのイラストをジャケットに使ったファースト・アルバム『詠時感?時へのロマン』とシングル「Heat of the Moment」が発表され、上記の商業的な成功を収めた。

1983年にはセカンド・アルバム『アルファ』を発表。全曲がウェットンとダウンズの作曲チームの楽曲で[注釈 7]、シングル「Don't Cry」が全米ポップチャート10位、全米ロックチャート1位となりアルバムも全米6位となる。しかし記録的ヒットを収めた前作の1/5ほどの売上に留まり、ツアーの観客動員数も減ってしまった。バンド内で軋轢が始まり、1983年の初来日ツアー前に、ウェットンはアルコール中毒になっていたという理由で解雇された。
レイクへの交代(1983年)

ウェットンの後任には、元キング・クリムゾン、元エマーソン・レイク・アンド・パーマー(ELP)でボーカリスト兼ベーシストのグレッグ・レイクがパーマーとの縁で招集された。これによってグループは元ELPが2人、元イエスが2人という編成になる。日本の三重県志摩市ヤマハの合歓の郷で1か月に渡るリハーサルが行なわれた[注釈 8]

1983年12月6日から、日本公演を皮切りにワールド・ツアーが開始された。日本では4公演が開催され、同年12月7日の日本武道館での東京公演の模様をアメリカに衛星生中継するというMTVの企画『ASIA in ASIA』が行われた。この公演はアメリカの放送時間に合わせて日本では平日の昼間に行われ、演奏時間も短かったため入場料は安く設定された。テレビ神奈川(tvk)でも、同日14:00-14:54に特別番組「武道館から初の衛星生中継!ASIA in ASIA 独占生中継」として一部が同時生中継された[注釈 9]。レイクは歌詞を完全には覚えられなかったので、テレプロンプターのモニターに表示される歌詞を見ながら歌った。彼の声域はウェットンのそれより低いため、楽曲のキーを半音下げるなど苦労し、結果的にぎくしゃくとした演奏になってしまった[5]が、日本公演は無事に終了した。MTVの番組『ASIA in ASIA』は後に『エイジア・イン・エイジア/ライブ・イン・武道館』としてビデオ化され、ビデオテープ、レーザーディスクで市販された。
ウェットンの復帰と解散(1984年 - 1985年)

1984年にはウェットンが復帰した。しかし彼とハウとの仲はうまくいかず、サード・アルバムのリハーサル中にハウが脱退。10か月以上の月日を後任のギタリストのオーディションを費やした後[5]、ウェットン主導の人事でマンディ・メイヤーを迎えた。彼等は25曲録音して10曲を厳選し、1985年にサード・アルバム『アストラ』を発表した。このアルバムは日本ではオリコン15位を記録するが、全米では67位、シングル「Go」は全米ロックチャート7位、全米ポップチャート46位にとどまり、前作までの巨大な成功とは程遠いものとなった。ウェットンは「なぜ急に売れなくなったのかわからない、あれだけの作品で売れなければ今後何を作ればいいんだ」と語り、失意の元、レーンから解雇された。さらにバンドの活動は凍結され、事実上の解散状態に陥った。
再始動?ダウンズの主導期(1989年 - 2004年)2001年のライブ

1989年ゲフィン・レコードA&Rであったジョン・カロドナーが再結成を提案したが、当時ABWHに参加していたハウは参加できず、ウェットン、ダウンズ、パーマーの3人でA面5曲が過去のヒット曲、B面4曲が未発表曲という変則アルバム『ゼン・アンド・ナウ』を発表した。ギター・パートはスティーヴ・ルカサーTOTO)やスコット・ゴーハム(元シン・リジィ)らが演奏した。またドラム・パートにも、後日ジョン・ペイン(英語版)、ジェフ・ダウンズ主導のエイジアに参加するマイケル・スタージスが演奏したものがある。ツアーのギタリストにはゲイリー・ムーアグレン・ヒューズの推薦を得たパット・スロールを迎えた。日本公演は成功に終わり[注釈 10]モスクワ公演からはライブ・アルバム『ライヴ・モスクワ09-X1-90』が発表された。しかしアメリカ・ツアーの日程が組めなかったことから、ウェットンは自分達にはもはや懐メロバンドとしての需要しかないと感じて、南米ツアーの後に脱退した[注釈 11]。同時期にスロールも脱退した。

ダウンズはジョン・ペインを加入させて活動を続けたが、もはやエイジアの活動というよりもダウンズのソロ・プロジェクトの色彩が強まって行った。ダウンズとペイン以外はゲスト・アーティストが多くなり、ツアーのメンバーの顔ぶれは非常に流動的になった[注釈 12]。ハウはアルバム『アクア』には参加したが、その後のツアーにはゲストとして参加するに留まり、再びエイジアから離れてイエスに戻った。ペインとダウンズの双頭体制の下で制作されたアルバム『サイレント・ネイション』(2004年)では、それまでジャケットのアートワークを手がけていたディーンを起用せず、最初と最後のアルファベットがAである単語[注釈 13]をアルバムのタイトルにする方式を放棄した。
オリジナル・ラインナップでの再結成?ウェットンの死去(2005年 - 2017年)

2000年代中ごろ、ウェットンとダウンズが偶然の再会して共作アルバムのレコーディングをはじめ、2005年4月には"ウェットン/ダウンズ(Wetton/Downes)"名義でアルバム『アイコン(iCon)』を発表。このころから二人を中心にウェットン、ダウンズ、ハウ、パーマーのオリジナル・メンバーによる再結成に向けた話し合いが行われ、2006年4月にはダウンズがペインらとのパートナーシップを解消する旨を発表。同時にオリジナル・ラインナップでのアルバム制作とコンサート・ツアーを実施する方向であることも正式に発表された。なお、ウェットン/ダウンズは以後も2枚のスタジオアルバムを制作している。

一方、ペイン体制下で制作が予定されていたニュー・アルバム『ARCHITECT OF TIME』は中止になり、その楽曲は最終的に離脱したペインらが主導した別プロジェクトに使用された。(#エイジア・フィーチャリング・ジョン・ペインも参照)スティーヴ・ハウ(左)とカール・パーマー(2006年9月10日)

ウェットン/ダウンズはその後も2006年にライブ・アルバム『アイコン・ライブ(iCon Live~Never In A million years)』、『ルビコン(iConII)』(2006年10月)をリリースした。2人はスティーヴ・クリスティ、ジョン・ミッチェルを加えたアイコン・バンドでのツアーと前述の再結成エイジアでのツアーを平行して行っており、アイコン・バンドが先に来日を果たしたが、再結成エイジアも2006年中に全英及び全米ツアーを終え、翌年3月にはオリジナル・メンバーでは初の日本公演を果たしている。2008年4月にオリジナル・メンバーによるスタジオ・アルバム『フェニックス』を発表。ジャケットのアートワークは再びディーンが担当した。2010年には同じ顔ぶれで『オメガ』を発表した。同時期に、ハウの参加しているイエスとジョイント・ツアーを行い、ハウが第一部のエイジアと第二部のイエスのどちらでも演奏した。

2010年7月にはロンドンで行われたイベント「ハイ・ヴォルテージ・フェスティヴァル」に出演。

2011年バグルスのマテリアルでもある当時の新作『フライ・フロム・ヒア』を収録していたイエスは、キーボードを担当していたオリヴァー・ウェイクマンを@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}解雇し[要出典]て、ダウンズを参加させた。その後のイエスのツアーと次回作にダウンズが参加し、エイジアとイエスの双方に籍を置くこととなる。

2012年には結成30周年記念アルバム『XXX?ロマンへの回帰』をリリース。同年9月には30周年記念ジャパンツアーが開催された。

2013年1月、再度のハウの脱退、後任にサム・クールソンが参加することが発表され、メンバー・チェンジ後の初ライブが同年6月5日にイギリスのミルトン・キーンズに行なわれた。この編成にて録音されたアルバム『グラヴィタス?荘厳なる刻(そうごんなるとき)』 [6] が2014年3月にリリースされている。

2016年12月、レイク死去。

2017年1月、ウェットン死去[7]。オリジナル・メンバーの再結集は不可能になった。
現在(2017年以降)

ビリー・シャーウッドがウェットンの代役を務め、2017年3月から6月までジャーニーと、7月からはフォリナーとツアーを行った。ハウが復帰してのウェットン追悼公演が企画されて日程も決まったが、その後キャンセルされた。

2019年4月、イエスの「ザ・ロイヤル・アフェアー・ツアー」が発表され、同年6月と7月に行なわれるツアーにはエイジア他が参加することが明らかになった。メンバーはダウンズ、パーマー、シャーウッド、新メンバーのロン・“バンブルフット”・サール(ボーカル、ギター)。ハウがゲスト参加する。

2024年4月、ジェフ・ダウンズ(キーボード)、ハリー・ウィットリー(ボーカル、ベース)、ジョン・ミッチェル(ギター、イット・バイツ)、ヴァージル・ドナティ(ドラムス、プラネットX)による新ラインナップで新生エイジアとして再始動し、7月から北米ツアー『The Heat Of The Moment Tour』を行うことを発表した[8]


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