エアロスミス
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これまでに「グラミー賞」4回、「ビルボード・ミュージック・アワード」6回、「アメリカン・ミュージック・アワード」8回、「MTV Video Music Awards」12回、「ミュージケアーズ・パーソン・オブ・ザ・イヤー」などを受賞している[12][13]ウォール・ストリート・ジャーナルの「史上最も人気のある100のロックバンド」において10位[14]ローリング・ストーンの選ぶ「歴史上最も偉大な100組のアーティスト」において59位[15]

スティーヴン・タイラーとジョー・ペリーのソングライティング・コンビは米国作曲家作詞家出版者協会(ASCAP)から贈られる「ファウンダーズ・アワード」を受賞しており[16][17]、ナショナル・アカデミー・オブ・ポピュラー・ミュージック(NAPM)設立による「ソングライターの殿堂」入りも果たしている[18][19][20]。なおこの二人にはトキシック・ツインズという(かならずしも名誉とはいえない)愛称もある。

日本では、1970年代後半からクイーンキッスらとともに“3大バンド”[21][22]の1つとして人気を博し、1977年に初来日している。1998年には海外アーティスト初となる4大ドームツアーを敢行した。

トータルセールスは全世界で1億5,000万枚以上[23][24]で、『最も売れたアーティスト』の1組となっている。

また、バンドの出身地であるボストンを州都に持つマサチューセッツ州は、1993年に当時のウィリアム・ウェルド州知事により、“4月13日”を『Aerosmith Day』と制定した[25]
メンバー


スティーヴン・タイラー
(Steven Tyler)

ボーカル・ハーモニカ・パーカッションピアノキーボード

1948年3月26日生まれ
ニューヨーク州ヨンカーズ出身ジョー・ペリー
(Joe Perry)
リードギターリズムギター・ボーカル
1950年9月10日生まれ
マサチューセッツ州ローレンス出身ブラッド・ウィットフォード
(Brad Whitford)
リズムギターリードギター
1952年2月23日生まれ
マサチューセッツ州ウィンチェスター出身トム・ハミルトン
(Tom Hamilton)
ベース
1951年12月31日生まれ
コロラド州コロラドスプリングス出身ジョーイ・クレイマー
(Joey Kramer)
ドラム・パーカッション
1950年6月21日生まれ
ニューヨーク州ニューヨークブロンクス区出身

サポート・メンバー

デイヴィッド・ハル(David Hull) - ベース
トム・ハミルトン病気療養中の全米ツアーに参加していた。
メンバーの変遷

時期メンバー
1970 - 1971
(バンド結成時)* スティーヴン・タイラー
* ジョー・ペリー
* レイモンド・タバーノ
* トム・ハミルトン
* ジョーイ・クレイマー
1971 - 1979
(レコード・デビュー時の
オリジナルメンバー)* スティーヴン・タイラー
* ジョー・ペリー
* ブラッド・ウィットフォード(入れ替わり)
* トム・ハミルトン
* ジョーイ・クレイマー
1979 - 1980
(ジョー脱退期)* スティーヴン・タイラー
*
ジミー・クレスポ(入れ替わり)
* ブラッド・ウィットフォード
* トム・ハミルトン
* ジョーイ・クレイマー
1980 - 1984
(ジョー、ブラッド脱退期)* スティーヴン・タイラー
* ジミー・クレスポ
* リック・デュファイ(入れ替わり)
* トム・ハミルトン
* ジョーイ・クレイマー

1984 -
(レコード・デビュー時の
オリジナルメンバー)* スティーヴン・タイラー
* ジョー・ペリー
* ブラッド・ウィットフォード
* トム・ハミルトン
* ジョーイ・クレイマー

来歴
1970年(バンド結成) - 1972年

1970年夏、アメリカニューハンプシャー州サナピー湖にあるクラブ「ザ・バーン」で友人関係にあったジョー・ペリートム・ハミルトンらによるバンド「ザ・ジャムバンド」の演奏をスティーヴン・タイラーが観ており、彼らに新バンドを組む話を持ちかけた事が「エアロスミス」誕生の発端とされている[26]。スティーブンはすでに別のバンド(「ザ・ストレンジャーズ」や「チェーン・リアクション」)でドラマーボーカルとして活動しており、地域で知名度もあった。

この新バンドでスティーブンはフロントマンに徹し、ドラマーにジョーイ・クレイマー、もう1人のギタリストにレイモンド・タバーノ(1946?)が加入し活動がスタート。バンド名はジョーイが高校時代からイメージしていたバンド名にちなんで「エアロスミス」に決まった[注釈 1]。バンドロゴはレイモンドの原案が採り入れられた。

しかし、翌1971年にレイモンドが脱退。バンドは新たなギタリストとしてバークリー音楽大学を卒業し、複数のバンドでの経験もあるブラッド・ウィットフォードを迎えることになり、オリジナルメンバーが揃うことになる。

はじめはカバー曲中心のパーティバンドのような活動をしていたが、ボストンの「フェンウェイ・シアター」支配人からの紹介により地元有力プロモーターに出会い、マネジメント契約を結ぶ。その後、マネジメント会社の交渉により1972年夏にコロムビア・レコードとの契約が成立した。こうしてエアロスミスはデビューする足掛かりを掴んだ。
1973年(デビュー) - 1977年

1973年1月、1stアルバム『野獣生誕』でデビュー。アルバム収録曲の「ドリーム・オン」がアメリカ東海岸地区のロック系ラジオを中心として注目され、同曲をシングルカット


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