エアロスミス
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MTV Video Music Awardsでは「リヴィング・オン・ジ・エッジ」が「ヴューワーズ・チョイス」を受賞[32]。同タイトルは、翌1994年第36回グラミー賞でも「ベスト・ロック・パフォーマンス」を受賞[33]。また、「クライン」がMTV Video Music Awardsの最優秀賞に当たる「ビデオ・オブ・ザ・イヤー」を含む、3部門でそれぞれ受賞した[34]さらに翌年「クレイジー」が、第37回グラミー賞で「ベスト・ロック・パフォーマンス」を受賞している[33]。また、同年に開催された日本ツアーでは、横浜・大阪・広島・福岡・名古屋等の各地での公演に続けて、日本武道館で計7日間の公演などを行い、初の南米ツアーも行われた。11月にはゲフィン・レコード期から選曲したベスト・アルバム『ビッグ・ワンズ』を発表する。
1997年 - 2004年

1997年3月、レコードレーベルがデビュー当時に所属していたコロムビア・レコードに変わり、プロデューサーにケヴィン・シャーリーを迎えた12thアルバム『ナイン・ライヴズ』を発表。前作に続き全米チャート1位(Billboard 200)を獲得した。なお、当初のディスクジャケットヒンドゥー教徒からの反感を買いかねないということで、デザインが変更されている[注釈 2]。翌1998年の日本ツアーでは、“海外アーティスト初”となる4大ドームツアーを開催した(名古屋・大阪・福岡・東京〈2回〉のドーム球場に加え、さらに追加公演として横浜アリーナ公演も2回行った)。また、同年に公開されたスティーブンの長女で女優のリブ・タイラーがヒロインを務めたハリウッド大作『アルマゲドン』のテーマ曲に使用された「ミス・ア・シング」が、バンド史上初となる全米シングルチャート1位(Billboard Hot 100)を獲得[35]し、4週連続1位の大ヒットとなった。同タイトルは、MTV Video Music Awardsに於いて「ベスト・ビデオ・フロム・ア・フィルム」を受賞した[36]。同年10月にはライブ・アルバム『ア・リトル・サウス・オブ・サニティ』を発表した。ディズニー・ハリウッド・スタジオ内のロックンローラー・コースター(2011年)

1999年第41回グラミー賞で「ピンク」が「ベスト・ロック・パフォーマンス」を受賞[29]。7月にはアメリカフロリダ州ウォルト・ディズニー・ワールド・リゾート内の「ディズニー・ハリウッド・スタジオ」にエアロスミスをフィーチャーしたアトラクション「ロックンローラー・コースター」がオープンする。年末には再び来日し、バックチェリーMR. BIGを前座に迎えた大阪ドームでのミレニアム・カウントダウンライブを含む、2年連続となる4大ドームツアーを開催した。

2001年1月、アメリカン・ミュージック・アワードから「アワード・オブ・アチーブメント」(功労賞)を受賞し[37]、授賞式で新曲「ジェイディッド」を披露。『第35回スーパーボウル』のハーフタイムショーにも出演した。3月には13thアルバム『ジャスト・プッシュ・プレイ』を発表。全米チャート2位(Billboard 200)を記録した。また同年、バンドは「ロックの殿堂」入りを果たした[9]。10月、テクモがゲームソフト『デッド オア アライブ3』においてエアロスミスとの楽曲仕様契約を締結したことを発表[38]。エアロスミスは「ナイン・ライヴス」、「ホーム・トゥナイト」、「アメイジング」を提供した[注釈 3]

2002年1月、日本ツアー開催(3度目となる4大ドームツアー)。5月に公開された映画『スパイダーマンサウンドトラックで「スパイダーマンのテーマ」をカバーした[39]。6月に再び来日し、『2002 FIFAワールドカップ』のオフィシャルコンサートに出演。アンコールで、前座で出演したB'zと共演し「トレイン・ケプト・ア・ローリン」を披露した[40]。7月にはレーベルの垣根を越えたベスト・アルバム『アルティメイト・エアロスミス・ヒッツ』を発表。

2003年、全米でキッスとのジョイントツアーを開催した。

2004年3月、彼らのルーツとなるブルース作品のカバーアルバム『ホンキン・オン・ボーボゥ』を発表。共同プロデューサーとしてジャック・ダグラスが『ドロー・ザ・ライン』以来となるアルバム制作に関与した。7月には日本ツアーを開催(広島公演はスティーヴンの怪我により中止された)。ロック・フェスティバル『POCARI SWEAT BLUE WAVE THE ROCK ODYSSEY 2004』にヘッドライナーとしても出演した。ツアー終了後は長期休暇をとる予定であることが伝えられた[41]
2005年 -2007年7月5日タリン公演の様子

新作の発表はしばらくなかったがライブ活動は不定期的に行われており、ライブ・アルバム『ロッキン・ザ・ジョイント』発表後は北米ツアーを行い、2007年には南米・中東・ヨーロッパを含むツアーを行った。しかし、各メンバーに病気や怪我によるツアーの途中キャンセルや一時離脱が続いた。ソロ活動としては、2005年にジョーが初のソロ名義となるアルバム『ジョー・ペリー』を発表。2009年には『ハヴ・ギター、ウィル・トラヴェル』を発表。ジョー・ペリー・プロジェクト名義で北米ツアーも行った。この頃、バンド活動を休みたいスティーヴンとバンド活動に長期間の空白を作りたくないメンバー間に軋轢が生じていた[42]

2010年5月から9月までツアーを開催するものの、スティーヴンはアメリカのオーディション番組『アメリカン・アイドル (シーズン10)』の審査員を務め(引き続き『アメリカン・アイドル (シーズン11)』の審査員も務めた)、シングル「LOVE LIVES」(映画『SPACE BATTLESHIP ヤマト』主題歌)を発表するなどのソロ活動を行い、一時期は“スティーヴン脱退説”や“エアロスミスが新たなシンガー模索中”などのニュースが流れることになった[43]2011年に南米からツアーがスタートし、11月には7年ぶりとなる日本公演も行った[44]2012年7月1日ナッソー公演でのスティーヴンとジョー

2012年11月、発売延期を経て『ジャスト・プッシュ・プレイ』以来、実に11年振りとなるスタジオ・アルバムミュージック・フロム・アナザー・ディメンション!』を発表。

2013年7月にリリースされたバディ・ガイのアルバム『リズム&ブルース』に、スティーヴン、ジョー、ブラッドの3人がゲスト参加した曲「イーヴィル・ツイン」が収録される[45]。同年8月に日本公演を開催。QVCマリンフィールド公演では、同時期に同会場で開催されていたサマーソニックに因んで“AEROSONIC”と題し、エアロスミスとB'zの2組のバンドによるロック・フェスという形で開催し、「ママ・キン」を、先に出演を終えたB'zと披露した。また大阪公演の際に、梅田にてストリートライブを行っていたバンド・イーゼル芸術工房とセッションし、翌日のジャパンツアーファイナルに招待したことが話題となった[46]


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