スティーヴン・タイラー
(Steven Tyler
1948年3月26日生まれ 時期メンバー 1970年夏、アメリカニューハンプシャー州サナピー湖にあるクラブ「ザ・バーン」で友人関係にあったジョー・ペリーとトム・ハミルトンらによるバンド「ザ・ジャムバンド」の演奏をスティーヴン・タイラーが観ており、彼らに新バンドを組む話を持ちかけた事が「エアロスミス」誕生の発端とされている[26]。スティーブンはすでに別のバンド(「ザ・ストレンジャーズ」や「チェーン・リアクション」)でドラマー兼ボーカルとして活動しており、地域で知名度もあった。 この新バンドでスティーブンはフロントマンに徹し、ドラマーにジョーイ・クレイマー、もう1人のギタリストにレイモンド・タバーノ(1946?)が加入し活動がスタート。バンド名はジョーイが高校時代からイメージしていたバンド名にちなんで「エアロスミス」に決まった[注釈 1]。バンドロゴはレイモンドの原案が採り入れられた。 しかし、翌1971年にレイモンドが脱退。バンドは新たなギタリストとしてバークリー音楽大学を卒業し、複数のバンドでの経験もあるブラッド・ウィットフォードを迎えることになり、オリジナルメンバーが揃うことになる。 はじめはカバー曲中心のパーティバンドのような活動をしていたが、ボストンの「フェンウェイ・シアター」支配人からの紹介により地元有力プロモーターに出会い、マネジメント契約を結ぶ。その後、マネジメント会社の交渉により1972年夏にコロムビア・レコードとの契約が成立した。こうしてエアロスミスはデビューする足掛かりを掴んだ。 1973年1月、1stアルバム『野獣生誕』でデビュー。アルバム収録曲の「ドリーム・オン」がアメリカ東海岸地区のロック系ラジオを中心として注目され、同曲をシングルカット。全米チャート59位(Billboard Hot 100)まで上昇するヒットとなる。 1974年3月、2ndアルバム『飛べ!エアロスミス』を発表。1年以上に渡って全米チャート200位圏内(Billboard 200)に入り続ける、ロングヒット作品になった。プロデューサーはジャック・ダグラス 1975年4月、3rdアルバム『闇夜のヘヴィ・ロック』を発表。「ウォーク・ディス・ウェイ」や「スウィート・エモーション」もシングルヒットし、アルバムも全米チャート11位(Billboard 200)まで上昇。バンド初のプラチナ・ディスクを獲得した。この勢いで前2作のアルバムのセールスも上がり、シングル「ドリーム・オン」は再発売されて全米チャート6位(Billboard Hot 100)まで上昇した。なお、日本では同年5月に『飛べ!エアロスミス』が発売されて日本デビューとなった。 1976年4月、全米ツアー開始。ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンでのライブも開催。5月には4thアルバム『ロックス』を発表。全米アルバムチャート3位(Billboard 200)を記録し、「ラスト・チャイルド」、「ホーム・トゥナイト」、「バック・イン・ザ・サドル」もシングルヒットする。日本でも彼らの知名度は上がり、「クイーン」、「キッス」らと並び“3大バンド”[21][22]の1つとして人気を博した。10月には初のヨーロッパツアーを開始。翌1977年2月には初の日本ツアーも行っている。また前座にはBOWWOWが参加した。 人気の拡大とともにバンド活動には2度目のヨーロッパツアーを含む大規模なツアーが組み込まれ、その合間に次作のレコーディングが行われるという過酷なスケジュールになり、以前から使用していたとされるドラッグも使用頻度が増していった(薬物乱用)。そのような中、1977年12月に5thアルバム『ドロー・ザ・ライン』を発表。全米チャート11位(Billboard 200)のヒットとなる。1978年3月にはロック・フェスティバル『カリフォルニア・ジャム2』でヘッドライナーを務め、同年7月から公開されたビートルズのアルバム『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』を取り上げた同名タイトルの映画にも出演。
ニューヨーク州ヨンカーズ出身ジョー・ペリー
(Joe Perry)
リードギター・リズムギター・ボーカル
1950年9月10日生まれ
マサチューセッツ州ローレンス出身ブラッド・ウィットフォード
(Brad Whitford)
リズムギター・リードギター
1952年2月23日生まれ
マサチューセッツ州ウィンチェスター出身トム・ハミルトン
(Tom Hamilton)
ベース
1951年12月31日生まれ
コロラド州コロラドスプリングス出身ジョーイ・クレイマー
(Joey Kramer)
ドラム・パーカッション
1950年6月21日生まれ
ニューヨーク州ニューヨークブロンクス区出身
サポート・メンバー
デイヴィッド・ハル(David Hull) - ベース
トム・ハミルトン病気療養中の全米ツアーに参加していた。
メンバーの変遷
1970 - 1971
(バンド結成時)* スティーヴン・タイラー
* ジョー・ペリー
* レイモンド・タバーノ
* トム・ハミルトン
* ジョーイ・クレイマー
1971 - 1979
(レコード・デビュー時の
オリジナルメンバー)* スティーヴン・タイラー
* ジョー・ペリー
* ブラッド・ウィットフォード(入れ替わり)
* トム・ハミルトン
* ジョーイ・クレイマー
1979 - 1980
(ジョー脱退期)* スティーヴン・タイラー
* ジミー・クレスポ(入れ替わり)
* ブラッド・ウィットフォード
* トム・ハミルトン
* ジョーイ・クレイマー
1980 - 1984
(ジョー、ブラッド脱退期)* スティーヴン・タイラー
* ジミー・クレスポ
* リック・デュファイ(入れ替わり)
* トム・ハミルトン
* ジョーイ・クレイマー
1984 -
(レコード・デビュー時の
オリジナルメンバー)* スティーヴン・タイラー
* ジョー・ペリー
* ブラッド・ウィットフォード
* トム・ハミルトン
* ジョーイ・クレイマー
来歴
1970年(バンド結成) - 1972年
1973年(デビュー) - 1977年
1977年 - 1983年
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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